アルゼンチン サッカー少年たちの今


アルゼンチンレポート その10

[監督・マラドーナはヘボ?]

 2010.8.18


[監督・マラドーナはヘボ?]
 
 W杯が終って一ヶ月あまり。今大会はなん
といっても日本代表の大躍進が光りました。
 アルゼンチンの地においては一度も地上
波での日本戦の中継がなされず、残念なが
ら私には日本選手達の勇姿を拝むことがで
きませんでした。
 実を言えば、大会前私はグループリーグ
の組み合わせから「日本は一勝もできない」
と公言してはばからなかったのですが、私の
予想が当たらなかったのを素直に喜びたい
と思います。
 アルゼンチン国内はどうだったかというと、
毎度ながら「優勝はアルゼンチン」という声
は老若男女を問わないところでしたが、今
回は相当なひねくれ者でなければ、今まで
よりも自国の代表チームに自信があったよ
うに感じました。
 まず第一の理由はメッシです。若過ぎたド
イツ大会で控えだった彼は、その後名実共
に世界一の選手に成長し、もはやマラドー
ナの正統後継者であることは疑う余地があ
りません。
 バティとクレスポの後を継ぐ CF、イグアイ
ンも現れました(私はリーベル時代から線の
細さが気になっていたのですが…、成長した
のかと思ったらそのままでしたね)。  
 これまでも攻撃陣は常に世界最強レベル
だといわれていましたが、守備陣は多少見
劣りしていました。しかし今大会はそこにも
選手が揃っていました。
 直前のチャンピオンズリーグ・ファイナル
の両チームにアルゼンチンの CB がいて、
その二人が代表でコンビを組むのですか
ら、攻守が噛み合ってドキドキするほどの充
実ぶりです(決勝点を挙げたのもアルゼン
チン選手!)。
 さらに監督がマラドーナなのです。そしてこ
れが問題の核であったことも、今となっては
公然とした事実です。
 さて監督マラドーナ。就任当初からその手
腕が疑問視されていましたが、W杯が終わ
って色々なことがわかってくると、実はそう悪
くはなかったようです。
 戦力と戦績を照らしてみればマラドーナは
ヘボ監督です。でもそうじゃないというところ
が、長くお休みしてしまったこのレポートの
再開を飾るのに相応しいテーマだと思うんで
す。



[ 南米予選のマラドーナ]
 
 御存知のとおり代表監督マラドーナの誕
生は、ちょうど日本が W杯に初出場した時
の加茂 → 岡田の監督交代劇に似ていまし
た。
 前任のバシーレ監督は、これまた監督とし
ての手腕が問題視(疑問視ではなく)されて
いた人物です。「あんなのは有名選手を並
べているだけ、誰がやっても同じ」と、小学
生までが馬鹿にしていたくらいです。
 監督がどうであれこれだけの戦力があれ
ば勝てそうなものですが、今大会の南米勢
がグループリーグ敗退無しという結果をみ
れば、南米予選のレベルの高さは改めて伺
い知れるというものです。
 マラドーナ就任当初アルゼンチンの予選
順位は 6位で、残り試合数は 5試合前後だ
ったと記憶しています。これはほぼ絶望とい
う状態で、今大会はダメだと諦めていた人も
大勢いました。
 この時マラドーナに白羽の矢を当てたの
も、「マラドーナでもダメだった」という言い訳
の材料にしているだけだと、皆が気づいてい
ました。だから「マラドーナなら何とかしてく
れる」という期待感はほとんどありません。
だって、いくら英雄でも未経験者ですから
ね。
 実際就任初戦のボリビア戦は、相手の地
の利に対してあまりにも無策なまま大敗し、
いきなり経験不足が露呈しました。この試
合、ラジオを聴いている売店のオバちゃんま
で大声で罵声を張り上げていて、買い物す
るのが怖かったんです。
 その後も快勝することはなかったけれど、
星勘定の巡りが良くてなんとか最終戦で予
選突破を決めたのでした。
 


[マラドーナのノルマは?]
 
 こうしてみるとお気づきの向きもあるかと
思います。臨時代表監督・マラドーナの使命
は、南米予選突破で十分に果たされたので
す。アホな前任者の尻を未経験者が拭いた
のですから。
 だからマラドーナもW杯でのノルマはベス
ト 8だと早々に公言していました。あれだけ
の戦力でそれは物足りないかもしれません
が、ドイツ大会のペケルマンと同じなのだか
ら妥当な線だといえます。
 またW杯のグループリーグには開催国を
含めたシードがあり、それらはグループリー
グの一位抜けがほぼ約束されています。つ
まり実質的なシードチーム同士の対決はベ
スト 8からなので、マラドーナが公言してい
たノルマは優勝候補ならば最低限のもので
す。いうなれば、本当のW杯、世界一決定
戦はベスト 8からなのです。
 もう一度念を押します。マラドーナに対する
評価材料は予選突破で十分だったのであ
り、本大会での成績は問われるべきもので
なく、ノルマがあってもせいぜいベスト 8。戦
力的に優勝候補ではあっても、代表監督・マ
ラドーナに要求できるのはそこまでです。
 このことを踏まえると、本大会での明らか
なマラドーナの愚行と監督続行放棄の材料
が揃ってきます。ここにもう一つ決定的なピ
ースが加わるのは、このレポートを読み進
んでいただければ明らかになります。
 


[マラドーナ語録と No.10は誰?] 
 
 私はつくづく、現役時代のマラドーナはキ
ャプテン翼そのものだと思っています。やす
やすと中央を突破するドリブルとチャンスメ
イク、囲まれているのに遠目からでも強烈な
シュートを放ってゴールしてしまいます。スペ
ースの概念など無縁ではないでしょうか。
 それでもマラドーナ自身はこう語っていま
す。「現代サッカーは組織的なプレッシング
が洗練され、もうボールを持てるスペースは
サイドにしかない。自分が今プレイするな
ら、現役時代よりもサイドのスペースを使う
だろう」。
 さてそれでは現代のマラドーナ・メッシはど
うかというと、やはりマラドーナが言うとおり、
サイドのスペースを突くプレイにこそ最も強
みがあるように思います。
 監督交代した後の南米予選でのメッシは、
コーナーフラッグ付近までしぶとく切り込ん
だ後、センターリングを上げるのかと思った
ら何をしたのかマーカーを振り切って、エン
ドライン際を中央に向かって突き進み、GK
の目の前でマイナスのパスを出して何度か
ゴールをお膳立てしていました。
 そんなプレイをされたらライン DFもプレッ
シングも関係ありません。何故かいつまでも
ボールを失わずにやりたい放題です。
 今までもマラドーナの後継者と呼ばれてき
た選手は何人もいましたが、本当にボール
を奪えないのはメッシだけです。もちろん中
央でもしぶとくボールキープできますが、サ
イドを切り込む時のようなスピードは出ませ
ん。
 私はサイドを切り込むメッシに、現代のマ
ラドーナの姿を見るような気がします。
 ところで南米予選を終え本大会へ向けて
の調整段階に入った時期、当然のことなが
ら「W杯でアルゼンチン代表の No.10は誰
が背負うのか」が話題になりました。
 マラドーナの答えは「メッシ、ベロン、国内
組だけどモンテネグロ」。
 モンテネグロは国際的には無名に近い選
手ですけれど、不遇なだけで実力は一流。
メッシが抜けても彼が代役をこなせます。こ
こで候補に挙げられたのは、二人の 2ndト
ップとレジスタなことに注目してください。
 この質問には「リケルメの再起用はある
か?」という意味も含まれていましたが、マラ
ドーナの答えはノーでした。



 [マラドーナのゲームプランは?]
 
 そもそもマラドーナは監督就任当初、リケ
ルメ + 10人というチームづくりを考えてい
たのだそうですが、リケルメに依存する形で
はバランスが悪くなるので考え直したのだそ
うです。そのリケルメのポジションに入った
のがベロンなのです。
 私はベロンとリケルメなら技術的に甲乙つ
けがたいと思っています。リケルメはボール
キープの名手ですが、ベロンのテクニックも
「魔法使い」と呼ばれるほどのものです。ベ
ロンのロングパスはベッカムと肩を並べるほ
ど正確無比ですが、リケルメのパスはかつ
ての同僚・高原も「ヤバイほどピッタリ」と言
っていました。
 マラドーナによる両者の起用を分けたも
の、それは球離れの早さです。
 ベロンはテクニシャンだけど無理なキープ
をせずに早目に展開します。リケルメのパス
は正確だけど、常に自分でボールを進めよ
うとするので早目のフィードができず、展開
力には欠けます。つまりは、前述したように
サイドアタックを重視するなら「ベロン!」と
いうことになるわけです。
 そのベロンに No.10を背負わせてもかまわ
ないとマラドーナが発言しているのですか
ら、ベロンの展開力を高く買っていたのは明
らかです。つまりは中央での局面打開よりも
ボールを散らしてサイドで攻める。こういうゲ
ームプランがみえてきます。
 そしてこれはセオリ−です。中攻めだけで
はゴール前を固められるだけです。特にア
ルゼンチンのようなチームに攻め合いを仕
掛けてくる相手は稀なのですから、引いて守
る相手をいかに攻め崩すかというのが、常
にアルゼンチン代表に求められる戦術なの
です。
 

[W杯でのアルゼンチン代表]
 
 南米予選終了から W杯開幕までの間、ア
ルゼンチンチームがテストマッチで一環して
採ってきたフォーメーションは 4-4-2。
 FWはメッシが 2ndトップに入って縦並び。
MFも Wボランチと呼ばれていますが、実質
は中央に縦並び。マスチェラーノが下がって
守備に専念し、ベロンは運動量こそ少ない
けれどセントラル MF的な位置でゲームメイ
クするレジスタです。
 サイドは SHの後ろに SBがいるので両者
ともある程度攻守に専念できます。特に攻
撃時は SHがウイング気味に張り出し、フォ
ローは SBよりも 2ndトップのメッシが回りま
す。
 このスタイルは各ポジションに役割の重複
が少ないので、それぞれが水準以上の仕事
をこなさないと穴が開きます。しかし戦力が
十分に揃っているビッグクラブでは大駒を何
枚も配置でき、かつ明確な役割分担が連携
不足を補ってくれる面もあります。そしてな
んといっても肝は 2ndトップとレジスタです。
 強豪といっても寄せ集めでしかないアルゼ
ンチン代表のようなチームには、大変向い
ているのではないかと私は思います。
 このテストマッチ期間アルゼンチン代表は
負け無し。南米予選を四苦八苦していた頃
とは見違えるようでした。そしていつの間に
か「マラドーナで大丈夫?」みたいな声は消
え、ベッケンバウアーに続いて 2人目の、選
手と監督で二度 W杯制覇するだろうと期待
が高まっていったのです。
 こうして突入した W杯本大会。御存知のと
おりアルゼンチンは最低限のノルマをこなし
ただけでした。
 大会中もベロンが怪我をすれば「ベロンは
欠かせない」と言っていたものの、そのベロ
ンを活かす戦術を採らず、それまで好調だ
った 4-4-2を捨てて何故かサイドアタックを
封印してしまいました。
 「マラドーナは何を考えているのか?」、
「いつ 4-4-2に戻すのか?」というのが大
会中の焦点で、選手達も「やりにくい」とか
「こんなポジションやったことがない」とか、
不満が続出していました。
 
 

[No.1はメッシ?、テベス?]
 
 特にメッシです。ボールが集まっていたの
で本人は言い訳がましい発言をしていなか
ったようですが、ボールに触れるたびに 2〜
3人に囲まれて、やりにくそうなのは明らか
でした。
 結局メッシは 5試合ノーゴール。でも大会
を通して一番シュートを打ったのはメッシだ
そうです。そのシュートは蛇行ながらマーク
を振って一瞬の隙に放ったもので、コースが
読めるため GKの正面が多く、全体的にも
威力が足りなかったようです。
 しかしシュートを放つまでボールを失わな
かったケープ力は脅威的で、メッシにボール
が入るとほとんど攻撃を完結できていまし
た。
 ノーゴールだったメッシよりも、アルゼンチ
ンチームで本当のブレーキになっていたの
はテベスです。パスを出さないので数的優
位が活かせず、カウンターチャンスは彼が
絡むとほとんど潰れてしまいました。
 そのテベスですが、メッシと違ってアルゼ
ンチンリーグから巣立ったこともあって、国
内の人気は No.1です。No.1なのは人気だけ
でなく、実力もメッシより上だと思っている人
がアルゼンチンにはたくさんいます。その理
由はテクニックではなく、いわゆるファイティ
ングスピリットなのだそうです。 
 負けている試合でもひっくり返そうと、ガム
シャラなプレイをするところがメッシにはな
い。だから物足りないのだそうで、そういえ
ばマラドーナもガムシャラなところがありまし
たね。ベロンも実力のわりに人気がないの
ですが、やっぱり同じ理由なのだそうです。
 そのガムシャラな部分がプレイに現れると
すれば、ポジションに関係なく敵のボールを
奪う。行く手に敵が立ちはだかるときは、パ
スよりもドリブルかシュート。つまり全部一人
でやってしまうということです。
 しかし今やヨーロッパでプレイするテベス
はそういう性格もよく知られており、「パスは
ない」となれば守る方は当然楽です。
 何にせよサイドアタックもカウンターも自ら
封じたアルゼンチン代表は、愚直にも中央
突破を繰り返し、見せ場はつくるものの崩し
きれず、終にドイツに完敗して大会を終えま
した。  
 「マラドーナはまたドラッグをやっている…」
そんな噂まで囁かれていました。
 


 [上手に負けるのも難しい] 
 
 マラドーナはさりげなく負けようとしていた。
私はそう思います。そしてその裏付けとなり
そうな情報が、マスコミからではなく政治・経
済界で囁かれていると知ったとき、確信して
も良さそうだと思いました。
 マラドーナに「適当なところで負けろ」と圧
力をかけた人物がいる。もしそうだとしたら、
全てに合点がいくのです。
 マラドーナ自身は南米予選を突破したこと
でもう十分な役割を果たしている。本大会で
は優勝を目指さなくてもよい。ただし、国民
に不満が出るような負け方はできない。派
手に攻めて人気のある選手を使って、その
うえで負ける。これはこれでサジ加減が難し
い仕事だと思います。
 前述のとおりマラドーナは、かつて自身の
後継者だと認めていたテベスを No.10候補
には挙げておらず、それどころか W杯開幕
直前までは適当なポジションがなく、スタメン
構想外だったのです。
 考えてみれば、その有り余る負けん気は
同点かビハインドの時こそ頼りになるのであ
って、スタメン候補に人材が揃っているのな
ら切り札としてスーパーサブに回った方がチ
ームに厚みが出ます。
 同じくサブにはベテランのパレルモもおり、
若い攻撃陣の控えにこれだけ強力なカード
が揃っていれば、指揮官は迷いなく采配で
きます。
 わたしの息子・ジョシも FWで、普段から 
FWであるからには練習や遊びでも自分で決
めるように言い聞かせていますが、ラストパ
スとオープンスペースへのフィードは可として
います。そうでないと明らかなチャンスを潰し
てしまいますし、味方からも信用されなくなり
ます。
 案の定テベスは一人でやってしまうのでチ
ャンスメイクが皆無。あのポジションにメッシ
かアグエロが入っていたら何点入っていたこ
とか。今でも溜息が出てしまいます。
 でもアルゼンチン国民は、テベスでもゴー
ルできないのならと納得してくれます。国内
組の、最終的には代表にも呼ばなかったモ
ンテネグロを No.10候補に挙げたのに、自ら
の後継者とまで言われた人気選手の能力
は見切っていた。
 それでも結果的にテベスと心中した。つま
りテベスと心中するならマラドーナの起用法
も責められない。元々スタメン構想外だった
テベスは、チャンスを与えられたというよりも
利用されたと私は見ます。
 サイドアタックも同じです。スペースという
のは前に誰もいない場所でなければ空きま
せん。W杯でマラドーナが採ったフォーメー
ションは 3トップ。最前線のテベスとイグアイ
ンが外に開かないので彼等のマーカーが常
に中央に残り、 1.5列目のメッシの前にスペ
ースが無かったのです。
 4バックで前線に三人使うと中盤の人数が
足りなくなります。SHが高い位置に張り出せ
なくなり、少なくとも中盤の選手はサイドアタ
ックに絡めません。
 本来 3トップなら、最前線の中央にイグア
インのようなストライカーを置いて左右のウ
イングがチャンスメイクするか、メッシのよう
なチャンスメイカーを中央に置くなら前線の
二人は広がらないと機能しません。三人がく
っつくとスペースがないからです。
 W杯開催中アルゼンチンのメディアはずっ
と「テベス好調、疲労蓄積によりメッシ不調」
と報じてきました。でも、チャンスであれだけ
下手を打ったテベスのどこが好調だったの
か。あれほどのボールキープとシュートを放
ったメッシのどこが不調だったのか。
 一年間リーグ戦を戦ったから疲労が蓄積
するのであれば、どこの国にいても選手は
皆同じ条件です。これらの情報の発信源は
他ならぬマラドーナその人なのです。
 


[敗退の真相(もちろん憶測です)]
 
 そろそろ種明かしをしましょう。まずヒント。
選手を引退したマラドーナが、セカンドキャリ
アとして夢見ていたのは代表監督ではあり
ません。ボカの監督です。
 そのボカのオーナー・マクリ氏は現ブエノ
スアイレス市の市長であり、通説では現職
のブエノスアイレス市長が次期大統領選の
有力候補だといわれています。
 そして現職アルゼンチン大統領のクリステ
ィーナ・キルチネルは、夫で直前の大統領
職を
二期勤めたネストル・キルチネル政権を引
き継いだ実質三期目の夫妻政権であり、そ
の政権の寿命は今期限り。支持率は就任
直後から下降の一途で、再選はほぼ不可
能とみられています。
 来年に控えた大統領選挙で支持率を上げ
るためのカンフル剤を打てるとしたら、(景
気を上げるのは無理なので)今年のW杯で
好成績を挙げて代表チームの強化に貢献し
たことをアピールするのと、大統領選挙の直
前に自国開催する南米選手権の優勝だけ
です。
 マクリにしたら、せっかく死にかけているク
リスティーナ政権が息を吹き返すのは全力
で阻止したいところ。
 そういうことです。
 マラドーナにしたら、W杯は南米予選突破
とベスト 8進出でお茶を濁せるけれども、自
国開催の南米選手権の優勝は、いくら何で
も義務です。
 アルゼンチンサッカー協会にしても自国開
催の南米選手権の優勝は義務だけれども、
マラドーナの前任のバシーレが芋を引いた
ように元々人材がいないので、ベスト 8敗退
の真相がわかっているのなら尚のこと、マラ
ドーナの手腕を高く買って続投させたいとこ
ろ。
 だからこそベスト 8敗退の責を問わず、マ
ラドーナに永世代表監督(ジャイアンツにお
ける長嶋 茂雄の永世監督と同じ待遇)就任
を打診したのでした。
 でもマラドーナは、やがてアルゼンチンの
独裁者になるであろうマクリ次期大統領の
意向を無視するわけにはいかず、かといっ
て自国開催の南米選手権を逃す不名誉も
耐え難いので、何だかんだと理由をつけて
続投を辞したのでした。
 マクリが大統領になれば、また代表監督
にはなれますからね。
 W杯を総括するトーク番組で、事情通とさ
れるキャスターが脈絡もなくこう叫びました。
「マラドーナよ、なぜボカなんだ?。お前の名
を冠しているスタジアムはボカじゃないぞ(ア
ルヘンティノス)」。
 マクリ関与説は当然マスコミで一切取り上
げていません。加えてマラドーナ戦犯説もあ
りません。メディアに現れたそのテの発言
は、私の知る限りでは唯一先述のキャスタ
ーのものだけだと思います(普通これだけで
は意味がわかりません)。
 そして、マラドーナの愚行を納得いくように
説明できるのも、今のところこれだけだと思
います。
 




その後の(息子)ジョシ  と アルゼンチンリーグの現状

  2012.9.14 

【その後のジョシ】 


 [アルゼンチンリーグの現状] 

 
 以前に書いた部分を多少なぞるかもしれま
せんが、少しまとめながら進めていきます。 

 ジョシがコベルのカテゴリーでフットサルが
できなくなってから、トップリーグの古豪クラ
ブ・ウラカンユースの練習参加というチャンス
を加藤選手にもらったのですが、スタミナ不
足が露呈して望みは叶わなかったのです。そ
こで今度は日系新聞の記者の口利きで、地
方 1部リーグ(トップから数えると3部)のコム
ニカシオネスに流れ着きました。 

 無謀にもビッグクラブを狙っていた私達は、
コムニカシオネスが地方リーグのクラブだと
いうことでずいぶん気落ちしていたのですが、
負け惜しみとも取られてしまうかもしれません
が、この選択は決して悪くはなかったのだと
今は考えています。 

 その理由の一つに、アルゼンチンのプロサ
ッカーリーグは、例えば Jリーグの J1、J2、
JFLの格差ほどには実力差が顕著でないと
いうことです。 

 全国リーグの 1部と 2部の間では自動降
昇格が 2クラブづつ、それと入れ替え戦も 2
クラブづつあります。昇格クラブは新シーズン
になると例年善戦していて、特に最近はいき
なり優勝争いに絡むことも珍しくありません。
全体的な傾向として昇格に合わせて大きく補
強したクラブは低迷しており、逆に台所事情
が厳しくて 2部の戦力のまま戦うクラブの方
がかえって通用しています。 

  
[リーベルが落ちた!]

  

 これは自動降格を免れたクラブと自動昇格
を逃したクラブとの入れ替え戦でも、“ほぼ”2
部のクラブの方が優勢であることからも伺え
知れるところです。特に近年はビッグクラブの
降格が相次ぎ、アルゼンチンリーグどころか
南米サッカー界でも名門中の名門・リーベル 
プレートすら入れ替え戦で敗れて降格してし
まいました (その後 1年で復帰)。 

これは、100年を超えるリーベルの歴史上初
めての恥辱であるとともに、この事態を回避
するために元アルゼンチン代表ボランチのア
ルメイダが引退を返上して参戦 (OBリーグで
現役続行中だった)した結果なのです。この
他にヒムナシア ラ プラタも入れ替え戦を戦
い、ギジェルモが引退をかけて急遽参戦した
のですがこちらも降格してしまいました (復帰
のメドが立たず 2シーズン目)。 

ロサリオ セントラルは今年も 2部で 3シーズ
ン目です。 

この 3クラブはアルゼンチンリーグの長い歴
史の中での通算勝ち星が負けを上回る強豪
クラブであり、基本的に 2部落ちが許されな
いビッグクラブです。 

こういうビッグクラブはブエノスアイレスではそ
れぞれクラシック戦 (ダービー戦)が設定され
ている「ボカ⇔リーベル」「ラシン⇔インデペン
ディエンテ」「サンロレンソ⇔ウラカン」、これ
に加えて新興の「ベレス⇔ヌエバ チカゴ (コ
ベルでのジョシの恩師・チャパー コーチがG
Kだったクラブですが、こちらは 1部と 2部を
行ったり来たりしている格下)」が数えられて
おり、この他にロサリオ市の「セントラル⇔ニ
ューエルス」、ラ プラタ市の「エストゥディアン
テス⇔ヒムナシア」という構図になっていま
す。 

 降格クラブが 1年で返り咲くのは非常に困
難です。圧倒的に有利な戦力を持つビッグク
ラブであっても思ったほど勝てずに引き分け
が続き、何度も昇格ゾーンから外れながらや
っと勝点を重ねた 1クラブが戻れるかどうか
といった感じで、リーベルの時もそうでした
が、降格クラブ同士が 2部で優勝争いをした
り、大量点で圧勝するようなことはありませ
ん。 

それどころか 2部での戦いでも苦戦続きで低
迷し、あっという間に地方リーグまで墜落して
いくのも全く珍しいことではないのです。 



[クラブの大小は関係ない]

 こうしてみるとトップリーグの中堅クラブあた
りと 2部の上位なら実力の差はあまりないよ
うに感じます。また、リーマン ショック以前の
景気のいい頃は、地方リーグで活躍した選手
にも欧州リーグから声がかかっていたので
す。 

 アルゼンチンに来る前の私は、ボカ、リーベ
ルの優勝回数がズバ抜けていたので 2大ク
ラブが常に優勝争いをしているのかと思い込
んでいました。しかし実はこの 2大クラブもリ
ーグ戦で大勝することがほとんどありませ
ん。リーグ戦で優勝するクラブというのは、結
果的に僅差で優勝をつかむ展開というのがこ
こ最近の傾向であり、アルゼンチンリーグは
今や下部までを含めた群雄割拠リーグという
様相なのです。 

 要するに何が言いたいのかというと、ここは
サッカーの国で、名の通ったクラブでなくても
それなりの選手がいるのです (プロ選手は全
員レベルが高いという意味ではありません)。
リーグ戦で手強いクラブというのは、そういう
選手が存分に活躍するクラブです。 

 例えばベレスにいたマルティネスという FW
です。プロデビューしてから数年間控えでパッ
としなかったのですが、その前年レンタル先
で得点王になり優勝の立役者となったウルグ
アイ人のシルバ (彼もレンタル前はパッとしな
かった)と組んだとたん開花し、それまで年に 
2点ぐらいしか獲れなかったのに、この 1シ
ーズンだけで今までの通算得点数以上のゴ
ールを挙げ、堂々とシルバと得点王争いをし
て代表選手になったのです (得点王はこの年
もシルバ)。 

 この覚醒の秘密はシルバのポストプレイで
す。自分で持ち込むタイプのドリブラーだった
マルティネスのボールを受ける位置が上が
り、それまでのような DFの密集を招かずシュ
ートまで持ち込めるようになったのです。 

 ベレスはビッグクラブですが、ビッグクラブ
のレギュラーになればそれでハッピーというこ
とはありません。サッカーはパスゲームなの
ですから、味方に活かしてもらうのも重要な
のです。で、逆にいえば味方と息の合ったプ
レイができるのなら、クラブの大小はもちろん
関係ありません。 

 シルバもマルティネスも 3、4年前は同じチ
ームで控えの選手でした。その頃誰が、この 
2人で得点王争いをする絵を想像できたでし
ょうか。 

アルゼンチンリーグはこういうケースがとても
多く、10代から鳴り物入りで年代別代表に選
ばれて活躍し、すぐに欧州へ飛び出す選手も
いれば、裏街道から突如表舞台に現れる選
手も毎年のように現れるのです。 

私はヘソ曲りの判官贔屓なので、こういう選
手が大好きです。 

  

 

 [地方リーグ1部 コムニカシオネス]  

 
 さて、コムニカシオネスでも良かったと私が
負け惜しみを言っている理由は他にもありま
す。このクラブがブエノスアイレス市内に所在
し、しかも学校と併設した練習グラウンドを持
っていたということです。 

 この利点は居残り練習にあります。 

 大方のビッグクラブの練習グラウンドは、街
中から車で 1時間近くかかる郊外に移転して
しまっています。理由はもちろん街中では広
い土地を確保しづらいためです。 

この不便と引き換えに、あらゆる設備が完備
されたクラブハウスと、天然芝のグラウンドを
何面も持つフットボールパークを構えている
のです。 

公共交通機関のアクセスも悪い場所ばかり
なので、プロは毎日自家用車で練習に通いま
すが、ユースの選手はスタジアムで集まって
から送迎バス乗って練習に通うわけです。 

このフットボールパークは平日は閑散として、
人の出入りはほぼクラブ関係者に限られてお
り、練習に来た選手達も終わって用具を片付
けたら送迎バスでさっさと帰ってしまいます。 

ですからプロ選手はともかくとして、ユース選
手は居残り練習なんてできません。仮に帰り
の足を何とかするにしても、グラウンドの整備
係がやってきて追い出してしまうのです。 

この点コムニカシオネスは学校と併設された
グラウンドなので (スタジアムも学校施設の中
にある)、ピッチコンディションはフットボール
パークと比べるべくもありませんが、グラウン
ドだけでなく施設全体の人の出入りが大らか
で、学校が閉門するまでいくらでも残っていら
れたのです。 

一流選手で居残り練習をしない選手はいない
と聞きます。ですから私はジョシにすぐ帰って
こないように諭し、居残りを奨励していまし
た。 

居残り練習とはいっても、実際ジョシはまだ帰
らない仲間とボールを使って遊んでいただけ
なのですが、この副産物は大きなものでし
た。というのも、別カテゴリーである年上の選
手達の練習で、ミニゲームの人数が合わな
いと欠員補充で呼ばれるのです。 

こうしてジョシは毎度年上の選手達のミニゲ
ームに混ざるようになり、ほどなくしてこの年
上の選手達の練習に、正式に飛び級参加す
ることになったのです。 

こういうことで、自分で練習に通える市内のク
ラブで、居残り練習ができるというのは案外
恵まれていたのです。 

そして、コムニカシオネスのユースは市内の
大きなクラブからあぶれた選手達が滑り止め
で集まってクラブでもあり、レベルが高いとは
いえないけれども、郊外にある他の中小クラ
ブに比べれば数段上のレベルであったことも
後で知りました。この差は、厳選された選手
が集まっているビッグクラブのユースとの差よ
りも大きいものです。 

  

  

 [ユース2軍はどんな所?] 


 コムニカシオネスでのジョシは、まず「Leaga
(リーガ)」というリザーブリーグに所属する二
軍チームに加わりました。 

 実をいえばリーガだったらウラカンの時にも
打診を受けていました。でもその時はアルゼ
ンチンのユースサッカーが AFA(アルゼンチ
ンサッカー協会)所属の 1軍と、リーガ所属
の 2軍という二重構造になっていることを知
らず、プロと同じように年間契約が必要な 
AFAでの契約を拒まれたことにショックを受
け、アッサリとウラカンを去ってしまったのでし
た。 

 というのもジョシがコムニカシオネスのリー
ガに加わった時「リーガってそういう意味か。
ウラカンのコーチに『お前のフィジカルじゃ 
AFAで通用しないぞ、リーガでやれ』って言わ
れてたんだよね。AFAリーグっていう意味かと
思ったら、リーガっていう別のチームがあった
んだ。それならウラカンでやればよかった」と
言い出したのです。 

 既に No,10を背負って試合に出た後で、時
期的にも今更戻れないと思っていました。実
はこれも思い込みで、年間契約を結ぶ AFA
には時期的な制約があるものの、毎回試合
の数日前に登録するだけのリーガには所属
に関する制約がないのです。 

 要するに AFAの契約時期が過ぎた後でもリ
ーガの窓口は常に開かれており、例えば目
ぼしい選手をクラブ側が見つけてきた時は、
とりあえずリーガで様子を見ながら次の契約
時期を待つということをしているのです。 

 つまりリーガは、落ちこぼれリーグではなく
(そういう面もあるけれど)、上昇志向のある
者にとっては、これも間違いなくプロへの階段
なのです。 

  

  
[2軍から 1軍へ行くには] 


 ただし、このプロへの補助階段はいつまで
も用意されているわけではありません。U-
14、 

U-15、U-16までの三年間だけなのです。 

 ここで留学希望の方にアドバイスできるの
は、このリーガの期間までならクラブでの練
習参加費はかからず、クラブに渡りをつけら
れる知人さえいれば O,K。たぶん大掛かりな
セレクションもありません。もちろんただ練習
参加するだけではなくて、実力次第で 2軍の
公式戦に出られます。 

 実際に私の知人のお孫さんは、日本の夏
休みの間にコムニカシオネスの練習に参加
し、コーチに認められて試合にも出ました。さ
らに彼は帰国後県の選抜選手に選ばれ、高
校は全国大会の常連校である九州の強豪校
に推薦で入りました。 

 2軍とはいえもちろん振り落としはあり、一
年間試合に出た人数の2倍ほどは、ほとんど
試合に出られず、ベンチにも入れないままク
ビになります。 

 この年齢以降はリーガから見れば 1軍の 
AFAしかユースカテゴリーが存在せず、クラブ
とは年間契約を結ぶので、普通は時期を逃
せば練習参加すら難しいのです。普通じゃな
い場合はお金次第ということで、だからこそ
サッカー留学は法外に高いのです。 

 また一年間試合に出ていれば 1軍である 
AFAに昇格できるかといえばもちろんそうで
はありません。ジョシがいた時期のコムニカ
シオネスでは、リーガから AFAに昇格したの
は年に 2人程度だといいます。上がる者がい
れば落ちる者もいるわけですから、この数字
は妥当でしょう。 

  


 [ユースのレベルと傾向] 

 
 ジョシはウラカンでスタミナ不足を指摘され
て以来、毎日 30分縄跳びをはじめました。 

 ここで走り込みではなく縄跳びにした理由
は、一つにブエノスアイレス市内は交通量が
多く、安全面の問題があるのと、未整備車が
多くて格別汚い排気ガスで空気が汚れている
こと。歩道は硬い石畳が多く、路面がフラット
でないためにつまずいたり疲労で間接を痛め
ないように配慮したこと。最後に長時間の走
り込みで遅筋を鍛えるよりも、跳躍で速筋を
鍛えたいと考えたからです。 

 元々走りには自信があったジョシではあり
ましたが、効果は割りとすぐに現れたようで、
コムニカシオネスに加入して以来スピードもス
タミナも負けることはなかったようです。 

 技術に至っては(これはウラカンでも同じで
したが)「自分より巧いと思う奴は見当たらな
い。そう思える奴は、相変わらずコベルのチ
ームメイトだったホアンとロスアミーゴスのマ
ルティンだけ」なのだそうです。 

 私の目から見てどうだったかというと、毎回
練習に帯同していたウラカンでのことを思う
と、パスが来ないのでジョシ自身それほど目
立ってはいなかったものの、確かに AFAのレ
ギュラーであっても技術的に目を引く選手は
いなかったと思います。 

 ジョシが AFAで契約されなかったので負け
惜しみに聞こえるかもしれませんが、ウラカン
の選手は技術よりも体格的に随分と逞しかっ
たのが印象的でした。それもそのはずで、練
習の週間メニューでは全くボールに触らず筋
トレばかりする日が一日置きにあったりして、
フィジカル偏重の傾向は明らかでした。 

 落選の折コーチとの話に立ち会ってくれた
加藤選手によると「アルゼンチンではフィジカ
ル重視の傾向は珍しくなく、そういう部分が合
わないでチャンスを掴み損なう選手がたくさん
いる。これはクラブよりはコーチの嗜好で、同
じクラブでも集めている選手の傾向が年齢に
よってまちまちだったりする。自分に合うチー
ムを探すのなら、いくつも渡り歩いて探すしか
ない」ということでした。 

 確かにアルゼンチンとはいえマラドーナが
何人もいるわけではないのだから、技術技術
じゃチームがつくれません。中村俊輔だって
少しボールを持つと「お前はプラティニか!」
ってトルシエに怒鳴られたぐらいですから、戦
術として計算できるほどのテクニックの持ち
主 (つまり一人で局面を打開できる選手)を探
そうとするよりは、そういう選手はいないこと
を前提にするべきなのかもしれません。 

  

  
[コムニカシオネスのジョシは] 

 
 私達にとっての問題は、ジョシが戦術として
計算できる人材に育っているかです。ジョシ
は自信があると言います。 

 コムニカシオネスでは加入直後の試合で 
No.10をまかされ、2ゴールを挙げました。こ
の試合は「プレ AFA」と呼ばれる試合で、ジョ
シは当初 AFAの控えとリーガの昇格候補を
品定めする編成だと言っていましたが、実は
そうではなく単純に AFAのプレシーズンマッ
チで、リーガの昇格候補以外は全員 AFAの
レギュラーでした。 

 この時点では既に AFAの契約時期が過ぎ
ていましたが、ジョシはその後時間を置かず 
AFAへの昇格が打診され、AFAでの練習参
加と、未契約の選手でも出られるリーガでは
飛び級の練習と試合を掛け持ちしていまし
た。 

とりあえず自分に合ったチームを見つけられ
たのだし、正規軍である AFAの担当コーチも
「このカテゴリーのエースは日本人だ」と人に
紹介するぐらい認めてくれていたそうです。ジ
ョシとしては、このままいけば最低でもコムニ
カシオネスでならプロになれると考えているよ
うです。日本でのジョシを考えれば目尻が下
がる想いです。 

 でも私の見解は、可能性までは否定しませ
んが「ノー」だと思います。その時点のジョシ
は戦術として計算できるほどの選手ではあり
ませんでした。 

この根拠は次回に詳しく書きますが、コムニ
カシオネスにいた間、技術的な面を含めてジ
ョシはほとんど成長していないのです。 

 




[クラブユースと進学校]

  2012.10.2

[クラブユースと進学校] 

[語り草になった試合] 

  前回「コムニカシオネスにいた間、技術的
な面を含めてジョシはほとんど成長していな
いのです」と書いた部分からの続きです。 

 実のところジョシは、コムニカシオネスの試
合ではほとんど点を獲っていなかったので
す。 

 加入直後の「プレ AFA」の試合では背番
号 10を背負い、生まれて初めて OMFを経
験しました。しかしこの最も難しいポジション
での動きがわからず、後半からはいつもの 
FWに戻されました。 

 後半からは背の高い CBを FWに上げてポ
ストプレイに専念させ、ジョシはシャドウストラ
イカーで前線に飛び出すという戦術が当た
り、立て続けに 2ゴールを挙げたのでした。 

 この試合はその後クラブ内でも語り草とな
ったようで、ジョシより随分上のカテゴリーの
選手でも「新加入でいきなり2ゴール挙げた
日本人ってお前か?」なんて声をかけてくれ
たそうです。 

 でも良かったのはここまででした。私自身
もこれで順風満帆だと思っていたので、どこ
でやるのかわからないアウェイの試合はもち
ろん、ホームの試合も観戦しませんでした。

 これは、フットサルの時と違って保護者が
観戦する雰囲気ではないし、観戦料もまとも
な試合観戦でもするような値付けで高いんで
す (グラウンドの端っこで立ち見するだけな
のに)。ジョシも日本でいえば中高生なのだ
し、いつまでも親が関わる年齢ではないと考
えていました。 

  
[サッカーの難易度] 


 こういった子離れの時期にはちょうど良い
タイミングだったのですが、今にして思えば
それは子供の進路に選択肢がある場合で
す。もちろんジョシにもサッカー以外の選択
肢はありますが、南米に来た今、そういうの
はあくまでセカンドベストであり、またセカンド
ベストなら日本の方がはるかに好条件で選
択肢も多いのです。 

 例えばアルゼンチンにいるのに野球選手
になりたいって言いだしたってどうしようもな
いですし、日本で進学するにしたって、受験
に帰国子女枠はあるものの学力自体は日
本にいる方が伸びますから、日本人学校に
でも通わない限りは全くマイナスなのです 
(実は通っていても不利)。 

 とにかく、サッカーをしに南米に来たのだ
からサッカーに全力を注ぐのは当然のこと。
もちろんジョシはそうしていましたが、私もジ
ョシの後押しを全力でやらなければいけなか
った。何年か経ってジョシは言っていました
「あの頃試合を観に来て欲しかったし、アド
バイスしてもらいたかった」。 

 日本の中学で部活のサッカーをやっている
のなら親はアドバイスなんかしないでしょう。
 ではサッカーではなく受験に置き換えてみ
たら…。一浪して中堅大学に入れる程度の
普通校を受験するなら、受験対策はそれほ
ど大袈裟でなくてもよいでしょう。
 でも国公立や一流私大が当たり前の進学
校だったら、ろくに教育費もかけずに子供が
自分なりに勉強するだけだと、今の時代普
通はムリです。 

 これをもう一度サッカーに置き換えて、ア
ルゼンチンでプロを目指していくというのな
ら、その難易度は日本の進学校を受験する
のとそう離れてはいないといえると思いま
す。 

 私の寄稿文が載ったカンゼン社の“ジュニ
アサッカーを応援しよう!”に元プロ野球選
手の高木 豊さんの談話が載っていました。
三人の息子さんのうち上の二人がヴェルデ
ィ ユースで (当時・末っ子もヴェルディ ジュ
ニア)、子供達には「(勉強で例えるなら)進学
校のトップクラスに入れるくらいのレベルだ
よ」と言っていたそうです。プロスポーツへの
道はそういうものでしょう。 



[教えたら悪いのか?] 

 私の息子が小野 伸二の様だったら、私の
アドバイスなんて邪魔でしょう。コーチだって
「教えすぎないようにしてください」なんて言っ
てくるかもしれません。
 また子供なりにでも、試合に出ると時々何
かに気づいたり反省するタイプなら、世話が
焼けないわけです。
 でもジョシはそうではありません。勉強だっ
て、親にとやかく言われてもやらないタイプ
が、結局受験で本人も親も苦労するわけで
す。 

 私の父の友人家では、年老いてからでき
た何人目かの末っ子の知能指数が高かっ
たらしく、小学校に入る時に奈良県でアパー
トを借りて、母子だけで神奈川県から引っ越
していきました。当地の超進学校に入るため
です。 

 当時中学生だった私は、その話を聞いた
時に「やりすぎだ」と思いましたが、受験戦争
にはそういうこともあるのだと後になって知り
ました。 

 ここで言いたいことは、サッカーというスポ
ーツではあっても、真剣にプロを目指す子供
にとっては、一つ一つの試合やカレンダーを
めくるようにドンドン過ぎていく時間が、長い
目で見れば将来に響いていくのです。手助
けして役立つことなら、親ができることをして
あげるのは当然ではないかと思うわけで
す。 

 日本のサッカーのコーチは「教えすぎない
ようにしてください」とよく言います。確かに、
教わったことよりも自分で気付いたことの方
が身になるものです。
 でもほんの僅かなアドバイスで済むことを
知らんぷりすることもないでしょう。結果論で
いえば、教わったことでも自分で気付いたこ
とでも身につけば同じです。 

 部活で勝ったり負けたりしながら和気あい
あいとやるのなら、自分で学んでいくことを
優先するべきです。技術や戦術がどうのより
も、学んでいくプロセスが人生経験なので
す。
 でも勝ったり負けたりではなく“常に勝ち組
でいなければならない”プロスポーツへの道
では、人生経験のために使ってしまう時間が
長すぎるとマイナスです。
 だからこそ、教えて気付くことなら教えてし
まった方がよいのではないでしょうか。 

 もう一度受験に例えるなら、受験対策の問
題集に出てくる解き方のわからない設問を、
教えないで放っておくのは時間の無駄で
す。 

 でも、時間の無駄だからと一方的に教える
のでは消化不良になります。それに伴って
資料を調べたり、辞書を引いたり、計算をし
たりすれば、記憶の定着を促すのです。
 教えたことがキチンと定着するまでの手間
を惜しまなければ、教えるという行為が何か
のマイナスに繋がるとは、私には思えない。 

 自由な発想を求めるのは、土台を築いて
からでもできるでしょう。覚えたことが応用で
きないのは定着していないせいです。 

  
[才能をどこで判断するのか] 

 
 さて、ここでもうひとつ。ジョシはプロサッカ
ー選手を目指す資格があるのかということで
す。
 しつこいようですが受験に例えるなら、普
通の中学校で中の下ぐらいの成績の生徒
が、三年生の進路指導の時に「超進学校を
目指す」と言うのなら臍でお茶が沸いちゃい
ます。小学校の頃ジョシのサッカーはそうで
した。 

 私達家族は、一見前出の奈良に母子で引
っ越した父の友人家のように、子供の将来
に親が全面協力しているケースにみえます
が、ジョシのプロサッカーのためではなく私
の夢のためにアルゼンチンに来たのです。
ですから、もしもケン&マッシーの技術に出
会わなければプロサッカーの道はなかった
でしょう。 

 しかし今やアルゼンチンに渡ってから覚醒
し、技術、スピード、体力のどれもがアルゼ
ンチンのユースサッカーの水準に達していま
す。アルゼンチンに来るきっかけとなった、
「サッカーを続けていれば必ず伸びる」とフッ
トサルのコーチに言われたことは実現しまし
た。 

 小学生ぐらいでは先々どれだけ伸びるか
わからないというのを証明したわけですが、
誰でもできるのかといえば、少し条件がある
と思います。 

 まずサッカーなのだから、全力で走るのを
嫌がらないこと。鈍足ではないこと。
 少々の接触で痛がったり相手を怖がったり
しないこと。そして、練習が嫌いでもサッカー
が好きなこと。ジョシはこれらのことは全て持
っていました。 

 技術や戦術は教えればある程度まで身に
つきますし、サッカーはゴールに直結するポ
ジションだけではないので、どんなことでも要
求される絶対水準が驚くほど高いということ
はありません。
 秀でている物は必要ですが、極端な欠点
以外は長所でカバーできると考えます。 

 マッシーがメールで教えてくれました。「サ
ッカーだけなんです。持って生まれたものだ
けでなくて、練習で身につけた技術で勝負で
きるのは」と。だから、才能の有無で判断で
きる部分は少なく、“プロ”を意識した覚悟の
問題なのです。 

  


[お前と一緒だとやりやすい] 

  
 さてやっと本題に入ります。どうして技術、
スピード、体力のどれもユースレベルに達し
ていて、飛び級の練習まで掛け持ちしている
エース扱いのジョシが試合で点が獲れない
のか。実はシュートもあまり打っていなかっ
たのです。 

 私も不思議でした。
 ジョシは「パスが来ないから」と言っていま
した。それならチームメイトと話し合えば済む
部分もあります。
 でもジョシはそれをしていないようでした。
試合のたびにコーチが「今日はどうしたん
だ?」と聞いてきたそうです。 

 2トップのもう一人の FWは「お前と一緒だ
とやりやすい」と言っていたそうです。

 その理由はフォアチェックです。ジョシはバ
ックラインでの横パスのコースを潰しながら
チェイスするので、たいてい敵の SBまでボ
ールが流れた後、最後は慌てながら蹴る縦
のロングパスで逃げていきます。
 縦パスはマーカーがカットしやすいので、
結局すぐにカウンターになって前線にボール
が戻ってくるわけです。
 プレッシングという戦術は、FWが真っ直ぐ
ボールを追わずに横パスのコースを消して、
中盤がキチンとマンマークできていれば機能
するわけです。 

 ジョシも追い詰められた。
  SBが慌てるのが面白く、このチェイシング
が病みつきになっています。
 実にコムニカシオネスのジョシがいるチー
ムは、ベレスやインデペンディエンテのような
ビッグクラブと対戦してもほとんど攻め込ま
れることはなく、名の通った強豪クラブが相
手の時は一度も負けませんでした。 

「そんなにいつも走っているとスタミナがもた
ないぞ」なんて言われることもあったようです
が、ボールがハーフラインを越えて味方が攻
められている時間に FWは休めるので、いつ
も走っているように見えるだけなのです。よく
走っていると思われることも副産物です。 

 でも、このボールはサイドまでチェイスに行
っていたジョシにはあまり入らず、SBから 
CBに入る横パスのカットを狙って中央にい
る相方の FWに入るのです。パスが来ないと
いう一因はここにもあったようです。 

  
[ユースサッカーは止めた] 

  
 とにかくジョシは、毎週スタメンで試合に出
ているのにゴールもアシストも月に一度ぐら
いでした。

 私は「今日は何点獲った?。何本シュート
打った?。ゴールまでの距離は?。角度
は?。ゴール前の状況は?。パスはどうだっ
た?。どうしてそのシュートが入らなかったと
思う?」
 などと細かく聞いていましたが、シュートそ
のものが少ないので何ともアドバイスしづら
く、歯がゆく思っていました。 

 そうこうしているうちに年末が近づき、リー
グ戦も終盤になってきた時、コムニカシオネ
スというクラブにも、私達一家にも大きな変
化が起こりました。財政破たんです。 

 コムニカシオネスは現在クラブの債務整理
が進んでおり、グラウンドも学校の敷地もす
べて抵当に入っています。

 学校の存続は微妙なところですが、クラブ
の練習グラウンドはトラック組合の車庫にな
る見通しです。クラブそのものはずっと前か
ら身売り先を探しており、未だに見つかりま
せん。 

 ジョシ達のような未契約の選手は練習の
際にグラウンド使用料を要求されはじめた
ので、門番の目を盗んだり捕まっても誤魔化
したりしながら、こっそり門を通るようになり
ました。 

 私達も財政破たんです。新しい大統領が
就任したとたんに社会情勢が変わり、物価
の急上昇が起こりました。
 医療無料の国なので、富裕層を相手にし
ていたとはいえ有料の鍼灸治療は立ち行か
なくなりました。
 そして、ついにはブエノスアイレス市内で借
りていたアパートを維持できなくなり、市街地
まで2時間近くかかる郊外へ転居していくこ
とになったのです。 

 ジョシはこれを機にコムニカシオネスを辞
めました。
 転居先で一度は地方リーグのクラブのユ
ースチームの練習にも参加しましたが、思う
ところがあって辞めました。
 そして、一旦クラブユースへの道を諦め、
アマチュアの社会人リーグに参戦することに
したのです。 

 これは結果的に後ろ向きな方向転換とは
ならず、かえって好都合でした。
 というのは、飛び級をしていたとはいえ同
世代の選手達との練習では実りが少ないと
感じていたからです。

 前出の「思うところ」とはこの部分です。ま
た、監督やコーチの指示にある程度従う部
分から解放されたので、自分の課題に挑戦
して自由にポジションやプレイスタイルを変
えられたのです。 

 そして気付きました。ジョシの言う「パスが
来ない」はここでもそうだったのですが、実際
に私が試合を観に行くと、パスは来ているの
です。 

 ジョシの要求するパスは、極端にいえばノ
ープレッシャーで前を向けるパスのことで、
そういうパス以外はほとんどワンタッチで捌
いてしまっていたのでした。 

  




アルゼンチンに来た意味とは

  [コレはナシでアリエナイ] 

  ジョシにはパスが来ていたのに、プレッシャ
ーがあるとワンタッチで捌いていた…。一読
すると、ボールを失わないためにはそれもア
リと感じます。勝負所でもない場面で無理に
ボールを持って、結局失うのでは何にもなり
ません。 

 でもプレッシャーのある局面でもボールを失
わない選手にならなければレベルの高いアタ
ッカーにはなれないのだし、またそういう練習
を実際の試合に近いシチュエーションで経験
していかなければ、真剣勝負の中で競り勝つ
ことはできないはずです。 

 この時のジョシのようにフリーの時以外はワ
ンタッチで捌くこと…。コレは判断が難しい面
もあるのですが、求められる結果が“勝利”で
ある場合必然です。コンピュータゲームならも
ちろんコレでいいし、テレビで観るサッカー
も、クラブは勝ち点を重ねることが目的なの
で基本はコレです。でもアルゼンチンではコレ
はナシなのです。 

 特にコーチにアピールしなければならない
育成世代ではコレはアリエナイことで、実はト
ッププロだって、選手にとってはクラブを優勝
させるよりも欧州リーグに出ていくことが目標
だったりするので、特に攻撃的なポジションの
若手はチャレンジすることがサッカーそのも
のでいいはずです。 

  

  

[マンガのドリブル] 

  
 かつてのジョシもそうだったのです。コベル
では「お前はリーベルが好きなのか?」とコー
チによく言われました。

 これはリーベルが伝統的にドリブルの単独
突破を売り物にしてきたクラブだったので、コ
ーチがこういう切り口で話してきたのです。そ
してコーチは「ここではリーベルのようにする
なよ」と結ぶのです。闇雲なドリブル突破はす
るなということです。 

 この背景は、一番調子が良かった時のジョ
シは勝手に身体が動いてアクロバット的な動
きができたのです。このモードに入ると DFが
何人来ようが全部抜いていました。

 私からみてもほとんどマンガのようなドリブ
ルで、日本でもアルゼンチンでも子供がこう
いうのをやっているのはお目にかかったこと
がありません。ジョシはこの感覚を掴みたく
て、DFが何人いても突っ込むことを繰り返し
ていた時期がありました。 

 もちろんこういうものは困難な状況を設定す
れば出るものではなく、集中力の問題なので
す。本当にいつも DFを全部抜いていたらコー
チも咎めなかったことでしょうが、普通マンマ
ーク1枚をどうにかするだけでいいのに、この
頃のジョシは一度に3人を相手にしようとして
いたのです。
 毎回これをやってボールを奪われていた
ら、さすがにコーチも注意するでしょう。 

 コベルを離れて以来気心の知れた仲間とサ
ッカーをする機会に恵まれず、今のところ勝
手に身体が動くほどプレイに集中できないで
いるようです。また裏を返せばまだメンタルが
弱く、集中力をコントロールできていないとも
いえます。 

  

                 

 
[熱烈なラシン サポーター] 

 
 ジョシは実際にリーベルのファンだったの
で、コベルの練習でもレプリカユニフォームを
着ていました。でも今はリーベルのファンでは
ないと言います。 

 元はといえば、ジョシが通っていた日系人の
学校は富裕層が多く、リーベルと近所の高級
住宅街から通う生徒が多かったのです。それ
と日本を離れる前に読んでいた「Jドリーム」と
いう塀内 夏子の漫画に日系アルゼンチン人
の GKが出てくるのですが、この選手がリーベ
ル出身だったのです。

 ちなみに今リーベルが弱いのは、ダレッサ
ンドロ以降突破力のあるタレントを輩出できな
いでいるためだといえます。 

 ジョシがリーベルのファンをやめてしまった
のは、リーベルが2部落ちした時にサポータ
ーが離れたからだと本人は言うのです。自分
も同じだということは全く棚に上げています。 

今ジョシの身近に自称“日系アルゼンチン人
史上最高の選手”というラシンのサポーター
がいます。この人物は年間チケットのあるホ
ーム戦は全試合観戦に行くし、アウェイ戦も
ブエノスアイレス市内なら欠かさず駆けつける
という熱烈ぶりです。 

 サポーターが暴れて金網に登っているシー
ンをテレビが映す時に、暴れてはいないので
すがたいてい最前列にいるのでよく一緒に映
っています。

 彼曰く「ラシンはクラブは弱いがサポーター
はアルゼンチンで一番だ。2部に落ちても財
政難で潰れかかっても絶対に見捨てない」
と、わけのわからないことを威張っているの
で、ジョシも感化されてしまいました。 

 ジョシがどこのクラブのファンだろうと私には
どうでもいいことなのですが、かつてジョシも
チャレンジ精神に溢れたプレイをしていたとい
う話です。

 ジョシの場合はコーチにアピールしようと
か、向上心とは少し違ったことが継続に繋が
らなかったのだと思いますが、結局こうでなけ
れば上達しないのです。 

  

  

  
[ジョシの相棒・スアレス君] 


 ジョシがプレッシャー下でボールを捌くように
なったのは、コムニカシオネスに入ってからで
す。ライバル不在でポジションが確保され、あ
んまりチヤホヤされたのがいけなかったので
しょう。そして飛び級の練習参加が止めを刺
したようです。 

 飛び級チームでは OMFと2ndTopの2人が
中心選手で、両名は実力があるけれど相性
が悪かったのです。ジョシはOMFのスアレス
君を「リケルメのような選手」と表現していまし
た。リケルメのようにボールを足裏でコントロ
ールし、DFを引き付けてからスルーパスを狙
うのです。ジョシは飛び級チームでも一番の
俊足だったので彼との相性はバッチリで、練
習中の紅白戦で彼がボールを持つと「ジョシ、
行くぞー!」といつも合図してくるのだそうで
す。 

 足裏でボールキープするとはいってもリケル
メと違って球離れが早く、視野も広くてサイド
への展開もよく試みたというから、アルゼンチ
ンでは珍しいタイプなのですが、とても優秀な
ゲームメイカーだったのだろうと思います。ス
アレス君のおかげで、ジョシにとって飛び級チ
ームは居心地がよかったのです。 

 元々スペースでボールを待つ傾向があった
ジョシには (ジョシが下手糞だった頃に、スペ
ースがある場所でフリーになっていれば、多
少ミスしてもボールを進められると私が教え
たのですが)スアレス君とか、コベルにいたマ
ルセル君みたいなスペースを狙うパサーと
は、楽に感じてしまうほど噛み合います。 

  

  

  

[ライバルはエース] 

 
 2ndTopの選手はウルグアイ人で、コムニカ
シオネスでは“ウル”と呼ばれていました。エ
ースはこちらの方で、足元にボールを欲しが
る典型的なドリブラーです。得意なドリブルの
形は右のアウトでボールを進めながら DFに
対して斜めに接近し、足を出してきたところを
右のインで左に持ち替えるというもので、少し
うまいアルゼンチンの子供はよくやります。 

 技術的にはたいしたことはないのですが、こ
れをトップスピードでタイミング良く出せるとな
かなかの武器になります。切り返しと違ってボ
ールが動かしてもあまり進路が変わらないの
で、直線的にゴールに迫っていくのです。加
藤選手がいた頃のウラカンでは、ボカからレ
ンタル移籍で入ってきたフランソイヤ選手が
このドリブルを得意にしていました。 

 1部昇格直後で低迷し、再降格目前だった
ウラカンを残留させたのはこの選手です。フ
ランソイヤがあんまり活躍するので、加藤選
手も、同じく地方リーグからレンタルで来てい
た現アルゼンチン代表のパストーレ選手もそ
の年は出場機会が少なかったのです。パスト
ーレがブレイクしてウラカンを優勝目前まで導
いたのはこの次の年で、そのシーズン前にフ
ランソイヤは別のクラブへ売られていきまし
た。 

 この当時、フランソイヤはいずれボカに戻っ
てエースになるだろうといわれていたのです
が、リケルメがボカに戻った時期と重なってレ
ンタル移籍を繰り返す羽目になり、その後フィ
ットするチームに恵まれず活躍できていませ
ん。 

 ドリブルが得意とはいえマラドーナやメッシ
のように毎回突破できるわけではないので、
このテのドリブラーはボールが自分の足元に
集まって何度もチャレンジできる状況でないと
輝けないのです。 

 コムニカシオネスのウル君の場合パスの出
し手がスアレス君で、彼はウル君の足元では
なくスペースに出そうとするし、誰かがスペー
スに動き出さなければボールキープし続ける
ので、スペースへの動きを考えていないウル
君にはパスが入らないのです。だから試合で
はこの二人がいつも言い合っていたといいま
す。 

 練習中の紅白戦ではジョシとスアレス君の
コンビとウル君は必ず別チームだったのです
が、ジョシのチームがウル君のチームに負け
たことはなく、トップスコアラーもほぼ毎回ジョ
シだったそうです。 

 でも結局1軍チームの AFAに昇格したのは
ウル君の方でした。パスが出なくてもウル君
が自分で持ち込むとチャンスになるのに対し
て、実際の試合ではチャンスメイクできていな
いスアレス君には評価できるポイントがない
のです。この他にスアレス君の欠点は、運動
量が少なくて DFの意識が希薄だったといい
ます。 

 ジョシはウル君とポジションがかぶるので、
飛び級の試合に何度か呼ばれても出場機会
はありませんでした。ウル君が怪我でもすれ
ば別でしたがそういうことはなかったし、ウル
君を下げてまでジョシとスアレス君を活かそう
という判断は普通しません。スアレス君が攻
守でもう少し活躍するなり、ジョシがスアレス
君のパスにばかり頼らず、この飛び級チーム
や自分のカテゴリーでボールを持って切り込
むシーンをもっとつくれていたら、AFAに昇格
していたのはスアレス君の方だったことでしょ
う。 

              

[アルゼンチンに来た意味とは] 

 
 オープンスペースや DFラインの裏に飛び出
すプレイ自体は何も悪いことではないのです
が、ドリブル好きのアルゼンチンではベロン
のような稀代のパサーが歓迎されない土壌
があり、FWは自分で持ち込まないとあまりボ
ールに触れず活躍できません。 

 そもそもスペースでボールを受けて GKと一
対一になるとはどういうことか。最も得点率が
高く合理的なシチュエーションなのは間違い
ないのですが、常にその状況を狙うプレイス
タイルならアルゼンチンに来た意味があるの
かというと、やっぱり少し違うのです。 

 私が電話で加藤選手と話した時、ベンチ入
りできない状況について「でもサテライトリー
グでは点を獲っている」と言っていました。別
のインタビューでは「DFラインの裏でなら自分
でも何とかできる」とも語っていました。実は
サテライトリーグで加藤選手と一緒に試合に
出ていたのはパストーレ選手ではなかったの
か。そのパストーレ選手が DFラインの裏にラ
ストパスを出していたのではないのか。今にし
て想えばこういうことも想像できるのです。 

 パストーレ云々はともかくとして、DFラインの
裏を狙うだけでは、つまり FWが DFのプレッ
シャーやフィジカルコンタクトを避けていたらア
ルゼンチンに来た意味はありません。 

 ジョシの俊足とオープンスペースを狙う感覚
は、日本にいた頃から持っていたものでアル
ゼンチンで身につけたものではありません。 
 それは武器として通用するようだし長所であ
るものの、味方に左右されるのでこればかり
には頼れません。 

  

  

  

[ベラサテギ ユース] 

 さて、こういういきさつでジョシはモデルチェ
ンジを迫られました。時は前後して私達一家
が都落ちして郊外へ転居することが決まり、
新たにサッカーができる場所を求めることに
なったのです。 

 初めジョシは“ベラサテギ”という地方2部ク
ラブのユースチーム (コムニカシオネスより一
つ下のディビジョン)で、私が通う教会の関係
者の導きで練習参加しました。コムニカシオ
ネスはベラサテギと同じ地方リーグとはいえ、
首都のクラブには人材が集まる流れにある
のに対して、ベラサテギのような郊外のクラブ
は人材が流出していくものなので、ユースに
集まっている選手達の実力は数段劣ってい
たといいます。 

 これは、ジョシが正規軍・AFAの契約選手で
はなくリザーブリーグ・LEAGAに所属していた
という視点で見ても、ベラサテギの AFAが劣
っているのです。「あれじゃあ公園に集まって
やっているのに少し毛が生えているだけだ」と
ジョシは言っていました。 

 実は球際の技術はウラカンもコムニカシオ
ネスもベラサテギも大差はないのです。特に
ジョシは攻撃側なので、向き合った相手の年
齢と体格が同じくらいなら、相手のレベルの
差は読みや反射神経や気合の問題で、選手
がどこに住んでいてもそんなに違うわけがあ
りません。 

 違うのは展開力であったり動き出しであった
り、またはパスの受け渡しの呼吸や意思の疎
通、そして攻守にわたる判断力とフォロー、そ
れからボールが来る前にプレイの選択を済ま
せるシンキングスピード etc.なのでしょう。ア
ルゼンチンではこういう部分の意識が日本と
比べて特に低いのですが、気が利くか利かな
いかというか、そういう部分を含めた「サッカ
ーを知っている度の差」なのではないかと思
います。 

 ジョシは「ヘタなヤツは視野が狭い」と言って
いますが、私からしたらジョシの視野の狭さも
相当なものなのですから、もっと狭い場合は
…。 

“わかっているヤツ”と“わかっていないヤツ”
の差は技術差以上に著しく、サッカーにおい
てはあたかも人種が違うかのようです。こうい
うことが大人になるにつれて結果的なサッカ
ーでの成長力に繋がっていたように感じま
す。一般社会のあらゆる職種でもこうですよ
ね。 

 ベラサテギが郊外のクラブとはいえ、ユース
で生き残れるだけの運動能力の持ち主が集
まっているわけで、そういう連中を集めて年中
サッカーをやっていれば技術もそれなりにな
るのでしょう。
 こう書いていくと、アルゼンチンのユースで
の育成指針は特にこういう傾向がある感じが
します。育てるというか、技術的な向上を促す
気配があまりないのです。 

  

                


[ユースには魅力を感じない] 


 日本だって同じなのかもしれません。私は
中高生の部活やクラブユースでどんな練習を
やっているのかよく知りませんが、Jr世代は
それなりにわかっているつもりです。特に私
は下手糞なジョシを何とかするために少年
団、フットサル、Jリーグの育成コーチなど
様々な人達に練習法を尋ねましたが、直接
話を聞いたなかで参考になったものはほとん
どありませんでした。 

 「どんな練習をやったらいいですか?」という
問いに一番多く返ってきたのが「練習前のボ
ールを使ったウォーミングアップを家でしっか
りやってください」です。ボールの出し手と向
かい合って、手で投げたボールをヘディング
したりインサイドで蹴り返したりするヤツです。
 
 これができない初心者は是非できるまで練
習するべきですが、一応形になる程度にでき
ているならあまり意味がないのです。つまり試
合で活躍できるほど上達するのかといえば、
そうではありません。 

 少年サッカーの練習は全体的に難易度が
低いものが多く、ボールに慣れる意図はわか
るけれど、上達のためとは言い難いものが多
いと感じます。また何故やるのか、どこがポイ
ントか、どんな効果が見込めるのかという部
分が不明瞭なまま取り組んでいるものもある
ようです。 

 例えばブラジル体操です。南米に来て気付
いたのですがあの動きはカポエラのもので、
腰骨から足を起動させる動作に慣らせて、股
関節の可動範囲を広げる目的があるようで
す。指導者がこの部分を理解しているかどう
か私にはわかりませんが、実際にやっている
少年達はこのポイントを知りません。それで
はこの体操をやってもほとんど効果がないと
思います。 

 ネットの書き込みでは「コレをやればアレが
上達するといった練習法はない」とまで書いて
いる四種指導者までいるのです。私の実感と
してそんなことはない。工夫が足りないだけだ
と思います。 

 その点ケン&マッシーは素晴らしい。才能
の有無は関係なく技術は身につくとして、ジョ
シは彼等を信じてそうなっていったのですか
ら。実際ジンガのような難易度の高い反復練
習がある程度スムーズにできるようになると、
プレイでの意外性や様々な発想は次第に開
花してくるものです。技術目標のハッキリした
練習には大きな効果があるのです。 

 だから私はサッカーはもっと教えていかなけ
ればいけない競技なのではないかと思うので
す。「サッカーって何をするのか」から「何が必
要か」という部分を突き詰めていくことはとて
も大切で、私とジョシの場合はそこから逆算し
て目指す技術や練習を模索しています。 

 クラブユースでは何を教えてくれるのか、ど
んな部分が上達するのか。実際にこう問うて
みると具体的な答えは出てきません。また、
何某クラブなら選手がみんな上達しているの
かといえば、そんなことが起こるはずもありま
せん。こういうことは皆が当然わかっているこ
とですが、クラブユースはプロの養成所なの
だから、この道を通るのは当然なのです。 

でもあえて“クラブユースでなければいけない
のか”。こう問うてみると、他の道があって、そ
ちらでも実力が養えるのなら話は別です。プ
ロになるのなら、またプロの世界で活躍する
ためには、実力が一番大事なのです。 

 そもそも日本は高校、大学、または専門学
校を卒業するまでにプロリーグと契約できな
ければプロへの道が断たれてしまう制度で
す。だからサッカー留学をする人が出てくるわ
けです。たぶん所属クラブのない人が私費で
サッカー留学をしているのは日本人だけでし
ょう。日本ではプロクラブそのものがまだ多く
ないし、社会人リーグを含めてもサッカーで上
を目指す機会が少ないのです。 

 その点アルゼンチンはどうか。クラブユース
の選手がプロになれなかった時、その先はサ
ッカーで夢を見ることができないのか?。ここ
に道があると気付いた時、もうユースに魅力
を感じなくなってしまいました。 

  

               

[日系人史上最高の選手] 

  実はコムニカシオネスを辞めてからベラサ
テギの練習参加まで間が1年空いており、こ
の間ジョシは週一でアマチュアの社会人リー
グに飛び入り参加していたのです。この社会
人リーグに導いたのが、前出の熱烈なラシン
サポーターにして自称“日系アルゼンチン人
史上最高の選手”というアンヘル君なのでし
た。 

 まずなぜ彼が日系アルゼンチン人史上最
高の選手なのかというと、彼は地元バレラ市
の“デェフェンサ”という全国2部クラブのユー
スにいた時のボカ戦で勝利し、これがきっか
けでボカのユースにスカウトされて、ユースと
はいえ背番号 10を背負ったのです。 

 こういったスカウトや、クラブ内でもジョシの
ような飛び級はとても価値があるのです。な
ぜなら、スカウトや飛び級の対象選手はその
チームのスタメン選手と同等以上の力がある
と認められているからです。

 スカウトや飛び級の選手が入るということは
誰かが押し退けられることですが、わざわざ
引っ張ってきた選手がベンチ入りギリギリの
選手では何も意味がないのですから。 

 アンヘル君はプロ入り確実と思われていた
矢先に膝に大きな怪我をしてボカを去り、傷
を癒して再び復帰したデェフェンサでプロ契約
の道を模索したところ、地方リーグにしか選
択肢がなかったといいます。

 彼の実家は公認賭博場 (くじ屋)を数軒所有
する富裕層であり、「プロスポーツ選手になる
なら一般人の何倍もの稼ぎがなければ意味
がない」との観点から、その時点でプロサッカ
ーへの道を断念したのでした。 

 その後社会勉強の意味で日本へ出稼ぎに
行き、一度も送金しないでのんびり過ごして
から帰国しました。未確認ではありますが、日
本滞在中にフットサルの大きな大会で優勝
し、新聞にも載ったそうです。 

 この富裕な彼の実家は私にとっても重要な
存在で、今私がアルゼンチンの馬産地で当
地の調教師と渡りをつけて、サンデーサイレ
ンスの近親馬 (サンデーサイレンスの牝系は
アルゼンチン馬)を探し当てているのも、彼の
父君の協力によるのです。 

 アンヘル君はジョシより5歳ほど年上で、出
稼ぎから戻った直後からアマチュアの社会人
リーグに参戦しています。 

 このアマチュアの社会人リーグというのは各
市町村ごとの運営で、四つのディビジョンで年
間リーグ戦を行っています。優勝しても全国
大会に出たりはしないのですが、このリーグ
戦のトップリーグで活躍すると、地元のクラブ
からプロ契約の打診を受けるようなことがあ
るのです。 

 プロ契約といっても地方リーグの待遇は、
女房子供がやっと養える程度でも上等な方
で、普通は試合の日に休めるような融通の利
くバイトとの兼業スポーツ選手です。だから
“打診”を受けても喜んでプロ入りする人はそ
んなに多くないようです。 

 どうして市町村単位のアマチュアリーグにプ
ロのスカウトが手を伸ばしているのかという
と、アンヘル君同様、トップリーグの選手達の
ほとんどが元何某ユース経験者ばかりだから
です。 

                



[チームスポーツは気が利かないとダメ]前篇

 2014.3.25 

[チームスポーツは気が利かないとダメ]前篇 

  

 アマチュアリーグに参戦したジョシの話です。 

 はじめは一番下、4部のカテゴリーでした。一番
下とはいえ飛び入り参加なので、補欠要員として
途中交代を待つ立場です。ただ、シーズンの序盤
は登録メンバーがあまり休まないので補欠のクチ
もないのですが、シーズンの中盤以降になると気
候も寒く、休みがちの人が増えてきて集まりが悪
いのです。 

 ジョシが始めたのはちょうどそんな時期で、知り
合いがグラウンドにいれば何とかなる状態でし
た。 

 左サイドで交代出場したものの、これまで何度
も書いているように、フリーで前を向けるパス以
外は全部ワンタッチで捌いていたようです。こうい
うプレイが結果として逆サイド中心にボールが進
んでいく展開を招き、さらにパスが来ない状況を
つくっていったのでした。 

  

[ジョシが動かない理由] 


 はじめは私も立ち会わなかったので、こういった
ジョシの状況を知らず、セオリーとしての味方の
パスを引き出す方法を改めて伝えました。 

まず、ジョシはサイドハーフというポジションをウイ
ング的に捉えているので、この認識を変えさせな
ければいけません。そもそもジョシが小学校 3年
生の時初めて試合に出たポジションがサイドハー
フだったので、私が「ウイングハーフのつもりで高
目にポジションを取れ」と教えたのが始まりなので
す。 

当時は全くの初心者だったので、ボールが来ても
フリーでないと何もできなかったし、そもそもボケ
っとして攻めで上がるのも守りで下がるのもしな
かったのです。 

初めての試合なのだからそんなことは放っておけ
ばよかったのですが、試合の日にしか来ない監
督は怒鳴りながらジョシにしつこく指示している
し、ジョシのクラスメイトでもある味方の 10番も、
ジョシがボールに絡むたびに文句を言っていまし
た。

さらに応援に来ている父兄は声援を送る感じでは
なく、どちらかといえば失点や敗戦の原因探しを
論じ合い、いつもヘマばかりする子供をこき下ろ
す有様で、そんな雰囲気の中で何もアドバイスを
しないわけにはいかなかったのです。 

監督や味方が言うことは、ジョシにとってはこの試
合に出るまで誰にも教わっていないことでした。
父兄も勝手な指示ばかりで、ジョシ以外の少年達
も、耳に入る言葉が整理できずに戸惑っているの
がありありと見て取れるのです。 

さすがにこれでは可哀そうです。特に守備でミス
るとピッチの内外で一斉に怒鳴られますし、監
督・コーチや父兄達にアレコレ指示されても理解
できない程度のキャリアなのですから、いっそ試
合なんか出さなきゃいいのにと愚痴っていまし
た。 

とにかく役に立ちもしないのにゴール前をウロウ
ロするのは自分にもチームにも危険です。守備
意識は技術云々ではない部分があって、ボール
を奪うという根本的な動機が芽生えなければ、一
言二言アドバイスしたところでどうにもなりませ
ん。その点攻撃なら、たとえ失敗しても課題を見
つけながら前向きに取り組めるから、この際少し
でも攻撃に関わるためにアドバイスしたのでし
た。 

私が「ウイングハーフ」と言っても本当のところ理
解できないハズですが、コンピュータゲームのサ
ッカーでウイングがサイドの一番高い位置だとい
うのは知っていたから「でも MFだから攻められた
ら下がらなきゃダメだよ」と、その程度の意味での
指示だったのです。 

これ以来ジョシは練習のミニゲームでも逆サイド
でフリーになってボールを待つようになったので
す。おかげで自分がボールを持っている時は逆
サイドやフリーの選手によく目が行くようになり、
これが視野の広さに繋がったのか案外球離れが
早く、それなりに技術が身についてからはサイド
チェンジや長めのアシストパスを決めたりしてい
ます。 

逆にボールを待っている時は消えていることが多
く、ジョシのサッカーは歪になりました。 

パスコースが塞がれていても自分勝手に「上なら
通る」なんて考えているので(上はいつでも空いて
いるのだから、そこにボールを蹴る余裕が味方に
あるかを判断するべきなのですが)、フリーでオー
プンスペースにいる限りは全く動かず、パスの出
し手の状況をまるで無視しています。だからジョシ
のサッカーはボールを待ってばかりで、気の利い
たパサーがいないとほとんどボールに触れない
のです。 



[ボールを呼び込むセオリー] 

 
こういったことの原因は私がそう教えたからという
よりも、本人が全く考えず気が利かないからなの
です。そういう意味でFWはゴールに直結するプレ
イだけ狙っていればいい部分があり、ジョシにとっ
ては考える要素が少ない点でMFと比べれば楽だ
ったのかもしれません。 

私がジョシに教えた SMFのセオリーは、まず 
DMFのポジションと OMFのポジションの間で、ボ
ールがある位置の高さに合わせて上下に動くの
が基本だと説明しました。また横の動きでは、ボ
ールが中央か自分寄りのサイドにある時は同じ
高さのまま近寄ってショートパスで繋げられるコー
スを作り、逆サイドにある時は、サイドライン際で
オープンスペースを確保してウイング気味に少し
上がり、味方がサイドチェンジを狙えるようにボー
ルから真っ直ぐ見えるコースに立つ。これだけの
ことなのです。 

ここで重要なのはショートパスを受ける時の動き
で、特にボールホルダーがプレッシャーを受けて
いる時はプレッシャーの無い側へ向けて一歩でも
近づくということです。これは実際にプレッシャー
を受けながらボールを持っている時に、味方が一
歩・二歩近づくとどれだけパスの難易度が下がる
か。キックの強さや方角のほかに、心理的な緩和
作用も実感できるはずです。ですから、たとえそ
の場所が遠回りでも、一番近くにいる選手は回り
込んでパスの難易度を下げなければなりませ
ん。 


とにかくこの場所ならDFをブロックしながらパスで
きるので、ドン詰まりになって最後の最後にショー
トパスが出るのはこのカタチだと思います。 

こういう気の利いたポジション修正を積極的に繰
り返すことが、結果的に味方の信頼を得てボール
が集まることに繋がるのです。別の言い方をすれ
ば、味方を孤立させないためのポジショニングで
もあると思います。味方のドリブラーがパスを出さ
ずに所かまわず仕掛けるからといって放っておい
ては、結局ボールを奪われるだけで利するのは
敵なのです。 

  


[気配りさんがチームを勝たせる] 

  

「気が利く」「気が利かない」は、パスゲームの生
命線です。今回のレポートもこのことをテーマにし
ているつもりなのです。こういう点に拘って結果を
出している実例があります。 

名古屋市の日比野中学校サッカー部は、公立校
でありながら 2002年には全国優勝しており、名古
屋総体も十年以上連覇している強豪チームで
す。同校の森本 通孝監督は“コーチに叱られて
良かったと思える自身の経験は?”という質問に
「他人のミスを非難する時間があれば、そのミス
をどうしたら助けられるか考えて行動しろ」と言わ
れたことを挙げ、さらに「今になればサッカーはミ
スの連続。それをいかにカバーしていくのかが大
切だとしみじみと思う」と語っています。 

このサッカー部の練習風景を紹介した記事では、
ボールを使った技術的、または戦術的な練習に
はほとんど触れず、練習開始 2時間前と終了後 
1時間をかけて全員でやるグラウンド整備を特に
取り上げていました。 

そのなかで、拾い忘れて一つだけポツンと取り残
されたマーカーを拾った一年生に対して森本監督
が「ああいうところに気がつく選手が三年生にな
るとチームにとって貴重なプレイヤーになる」と褒
めていたことがレポートされており、なるほど“こ
の監督にしてこのチームあり”と、唸らせられまし
た。 

つまり誰かが拾い忘れたマーカーを、責任云々で
いえばこの日マーカーを片付ける担当者が、二
度手間になっても拾いにいかなければならずない
のです。そして、全員でグラウンドを行き来するな
かで、たぶん大勢がそこに一つだけマーカーが残
っていることに気づいているはずだし、実は当該
人物も気づいていて、面倒がっているだけなのか
もしれません。そこである一人が労を惜しまず率
先してそのミスをカバーし、わざわざマーカーを拾
いに行った。 

やったことはただマーカーを一つ拾っただけのこ
とだけれど、このシチュエーションでのチーム全
員の心の動き、物の考え方。こういう部分をみて
褒めたのだと思うのです。 

ジョシの恩師、コベルのチャパーコーチも「味方
の FWがドリブルしている時は斜め後ろをフォロ
ーしろ」とジョシに指示していました。結果的には
オープンスペースにポジションを取っていてもほと
んどパスが来なかったし、味方が囲まれてボール
を奪われるケースが頻発していたので、この指示
は的を得ていました。 

 
[チームスポーツの楽しさ] 

  
サッカーと同じ起源をもつラグビーは、手では縦
パスが出せないルールという点もあるけれど、ボ
ールホルダーの斜め後ろをチーム全員で追走す
るのがセオリーです。私は高校の体育の担当教
諭がラグビー部の顧問だったので、こうしたラグ
ビー独特の動きをセオリーとしてはじめから教わ
り、よく意味も考えずにセオリーとして実践してい
ました。

しかしこれがパスを繋ぐだけではなくて、味方のド
リブルを後押しするためだったり、奪われそうに
なって転がったボールを拾うためだと教わってい
たら、体育とはいえチーム全体の動きはもっと違
っていたはずです。 

他人のミスに気づいた時、文句を言うだけの人間
はマーカーを拾いに行かない。ドリブルで突っ込
む味方のフォローはできない。他人のミスを当事
者の自己責任として片付けるのか、チームとして
補い合いながらボールを繋いでいくのか。ここに
心の成長が見えると思うのです。 

サッカーをするのはプロになって大金を稼ぐため
なのか。試合という試合に勝ちまくって勝ち組人
生を歩むためなのか。個人としてはそういうモチ
ベーションは大切だけれど、チームとして、他人
の置かれている状況を自分のこととして捉える。
そういう修練の場がチームスポーツにはあるのだ
と考えます。 

「ボール持ったら一人は抜け」。「勝負しろ」。こう
いう声は小学生の試合でもよく聞きます。でもあ
っさりボールを奪われ続ければ、チャレンジ精神
はしぼんでしまいますし、そもそも勝負に勝つ自
信というか、勝算がなければそうそう勇気は沸き
ません。 

例えば、身体を鍛えていない一般人がプロレスラ
ーまがいの大男に喧嘩をふっかけることは普通
できませんし、小学生だって二学年くらい年上の
子供相手に突っかかっていくのはよほど勇気の
いることです。 

ドリブルだって、ドリブルが大好きで得意中の得
意という子ならまだしも、サッカーやっている子が
みんなそうだというわけではありません。「獲られ
てもいいから勝負しろ」という声が飛びます。でも
本人も「獲られてもいい」と思っている子はそんな
にいないでしょう。 

そこで「フォローしているから抜けなくても大丈夫」
と言われたら、少しは勇気が湧いてきます。そし
てドリブルのボールを突っつき出されても味方が
拾ってくれたら…。漠然とした勝気や自信で向か
っていくチャレンジ精神ではなく、味方の後押しで
勇気づけられるチャレンジ精神。チームワークが
醸し出す楽しさや美しさはそういうものだと思いま
す。




[理想のゲームメイカーは?]  ボールを持つ前に考えながら走るということは・・・


[チームスポーツは気が利かないとダメ]中編

[理想のゲームメイカーは?] 

  
  実はアルゼンチン代表あたりでも味方のフォロ
ーを含めた一連の動きができている選手は少な
く、例えばメッシはやっていません。こういう点で
はメッシが背番号 10を背負って OMFとして中盤
に君臨するのが私には若干の疑問があり、彼の
ベストポジションは下がり目のFWである 2ndTop
なのではないかと考えるのです。 

 今アルゼンチンの TV中継で見られる範囲で
は、元イタリア代表のカモラネージ (彼はアルゼ
ンチン国籍です。イタリアから帰国後はラヌース
に所属し、翌年からはラシンです)とパストーレが
挙げられます。 


 特にパストーレはメッシとポジションがかぶるの
で代表戦の出場機会が少ないのですが、メッシ
を FWに上げてパストーレが中盤をつくる布陣こ
そが理想だと私は考えます。 

 またこの動きを完璧に実行したのは、昔ダイヤ
モンドサッカーで見たクライフで、私にとって理想
の OMFはやはりクライフなのです (テクニックと
突破力ならマラドーナやメッシなのですが、ポジ
ショニングや球離れの早さ等、チームとして求め
られる部分ではクライフだろうと考えるのです)。 

 ダイヤモンドサッカーだなんて、いかにも昔か
らのサッカー通のように聞こえるかもしれません
が、これはたまたまクライフが出ている時に観た
だけです。当時は“理想の OMFはクライフ”みた
いな視点を持っていなかったので、今にして想え
ばという感じでしか覚えていないのですが、それ
でもクライフは凄かった!。 


 はじめのうちはクライフがドリブルしてクライフ
ターンを繰り出すところが観たかったので、クラ
イフがボールを持つたびに画面に喰い入ってい
ました。クライフにパスが入るシーンは多かった
のですが、ほとんどワンタッチで捌いてしまうの
で「なんだよクライフ全然ドリブルしねーじゃん」
なんて言いながら観ていたのです。 

 そのうちクライフがボールを持つ一連の動作の
前後で、カラクリ人形のように首をグルグル回し
ているのに気がついて、ボールを散らしながら守
備陣のズレを誘っていることが理解できたので
す。 

 クライフは自分に向けてパスが出る前から首を
回して、今の状況ならどこにボールを送るべき
か、自分はどこでボールを受けるべきかを判断
しながら移動し、ボールを受けた時にもう一度状
況を確認するために首を回していたのです。 

 味方がパスコースに詰まる前に最終ラインから
両サイドまでどこにでも現れて、首をグルグル回
しながら次々にボールを繋いでいく姿は、今のよ
うにサッカーと深く関わる前でも「いいものを見せ
てもらった」という感じでした。ゲームメイクってこ
ういうことかと、見識を改めさせられました。 

 名波が仏 W杯の予選を突破した頃、シンキン
グスピードについて語っていたのがまさにこのこ
とでした。曰く、ボールが来てから考えるのでは
遅いし、余裕もなく視野も狭いので正しい判断が
できないのだというのです。 

 だからプレイスピードそのものを上げるために
は、“考える”という作業はボールが来る前に済
ませておく。加えて、状況が変われば選択も変
わるのだからその選択肢もいくつかを用意して、
ボールを受けてからもう一度状況を確認して素
早く展開する。 

 クライフの首振りはまさにこの作業そのもの
で、これこそが現代のゲームメイカーに必須の
技術なのです。 

 少年サッカーのミニゲームで、よくワンタッチ・
ツータッチ、またはダイレクトでのパス回しを練
習課題にしていますが、ボールが来る前に考え
ておくという“コツ”を伝授せずに、ただ難易度の
高いことに取り組ませるだけで終始しているケー
スが多いようです。 

 実にコーチライセンスを持つ Jリーグ所属クラ
ブの育成担当コーチですら、何も教えずにやら
せているのです。これが教えずに気付かせる目
的なのでしょうか?。そのワリにはフェイントなん
かは教えていたようでしたが…。 

               2014年4月17日
   



[コツはコンセプトの理解]


[コツはコンセプトの理解]

  
 シンキングスピードやゲームメイク云々の話は
少々上のレベルの話なので、今回特に取り上げ
たいのは「気が利く」とか「味方のために動く」と
いう部分です。

 それでもボールが来る前に考えておくというの
は共通していますし、結果的には味方のパスを
引き出すというか、パスを出しやすくなるという点
ではどんなレベルのサッカーでも、またどのポジ
ションであろうとも必要なことだと考えます。 


           
 
  では生来気が利かない人間には見込みがな
いのかといえば、そうともいえるし、また何とかな
る部分もあります。私はこういう部分は、ファミリ
ーレストランのウエイターなんかに共通する部分
なのだと考えます。 

 私は人間観察ができる接客業が面白くて、学
生時代からウエイターのアルバイトばかりしてい
ました。
 特に出版社勤務からフリーランスになった後
は、食えなくてフリーライターなんだかフリーター
なんだかわからないような生活をしていた時期も
あったのです。 


 
 私は好奇心から接客業を好んでいたので、け
っして生来よく気が利く“気配りさん”というわけで
はなく、むしろあまり気が利かない方なのです。

 それでもバイト先では時間帯責任者を任され
て、社員不在の深夜では店長代理みたいなポジ
ションでいました。 

 今どきのファミリーレストランは人件費を削りま
くっているので、一昔前よりも忙しいんです。いわ
ゆる接客業でいうところの、お客様をお迎えして
サービスするという感じの顧客満足や、愛想の
良い客ウケ的な部分は二の次です。 


 ピークタイムともなると2〜3人の従業員で客
数を何組こなすかという部分が重要で、客ウケ
よりも従業員同士の働きやすさを突き詰めていく
ことになるのです。 

 こういう部分はマニュアルでは表現しきれない
のでしょうが、行動の選択肢と優先順位は大方
決まっています。要するに“コツ”があるわけで
す。 

 ただ、そういうものを“覚えよう”とするなら不適
切な判断ばかりになるし、行動も遅くなります。
融通も利きませんね。選択肢や優先順位という
ものが何故決まってくるのかというコンセプトを
理解すれば、覚えようとしなくても自然に身につ
いてくるわけです。 

 特に「今あの人がアレをやっているから自分は
何をしようか」と、一緒に働いている人の状況に
合わせて適切な行動がとれるようになれば、大
分仕事が任せられるレベルです。 

 例えば私が働いていた大手レストランチェーン
では、営業時間中の客数予測に合わせて人員
配置をしていく時、予想客数 20人に対して従業
員を1人配置しています。 40人なら2人、60人な
ら3人となるわけです。ここで接客マニュアル以
上の行動をとれる人が一人でもいれば、2人で 
50人、3人で 90人が実際にこなせるのです。 

 生来頭が良いだとか、気配りが細かいとかの
適性がある人間でなければいけないかといえ
ば、確かにそういう要素はあるに越したことはな
いけれど、絶対条件ではありません。 

 特に女性は男性よりも細かい気配りができる
人が多いけれど、急場では能率を優先するコン
セプトに合わせきれずに案外動けなかったりしま
す。
 だからといって男性なら大丈夫なわけでもなく、
あくまで優先順位の整理が求められるということ
なのです。 
          
 更に脱線すると、漫画では週刊少年ジャンプで
連載されていた「ホイッスル」の主人公・風祭君
が、東京選抜の試合で不調の 10番と交代して 
OMFとして出た時にこういう動きをしていまし
た。 

 この東京選抜チームのエースはいかにも天才
肌で左利きのテクニシャンなのに対し、一方の
主人公・風祭君は万年補欠から一念発起して選
抜まで昇り詰めた努力型で、選抜チームに入っ
てからも技術のない分を練習量と運動量で補う
かたちになっていました。 

 それは味方にプレッシャーがかかった時には
必ず現れ、パスを引き出すとすぐに別の選手に
展開することを繰り返し、敵の守備陣を崩してい
くというものでした。 

 気が利く。よく考えている。労を惜しまない。こう
いったサッカー以外の場でも描写されていた主
人公の長所が、物語の後半で結実していったの
です。 

 この漫画の作者は女性なのですが、連載当初
は明らかに「わかってないなぁ」という感じだった
けれど、連載が長期化するにつれて「サッカーの
勉強をよくやっているな」という描写になっていき
ました。 

 同じ少年ジャンプでも「キャプテン翼」の主人公
は才能の塊でサッカーエリート。他のサッカー漫
画でも、主人公は足が速かったりキック力があっ
たりと何らかの突出した才能を伸ばしていく展開
なのに、風祭君は万年補欠を返上するために学
校を休んでまで練習していたという点からしても
何とも異色です。 

 そして、サッカーに夢見る世代には、私はむし
ろ「キャプテン翼」より「ホイッスル」を読んでもら
いたいなぁと思います。かく言う私が「ホイッス
ル」を読んだのは、下手糞なジョシをサッカーの
世界へ深く引き込むために古本屋で買い漁って
きたのが本当のところで、私が少年時代に読ん
でいたサッカー漫画も「キャプテン翼」だったので
すが…。 

           
[5万人の観客。に物申す!] 

  
 私としては、今の日本のジュニアサッカー界は
何とも技術偏重傾向が強すぎるのではないかと
いう気がします。

 私の原稿が載った「ジュニアサッカーを応援し
よう!」誌でも、高校サッカーで全国優勝したチ
ームの監督のインタビューで「人に感動を与えら
れるとか、人をワクワクさせるとか、そういった気
持ちでサッカーをしてほしい」と語っていて、それ
はかまわないのですが、そのために「練習試合
をするときも、まわりには 5万 6万の観客がい
るとイメージさせて、そのうえで選手に『今のプレ
ーは 5万の観客を沸かせられるプレイなの
か?』という問いかけをしています」というのは少
し違うと感じます。 

 私はクライフがワンタッチでボールを捌きなが
ら、最終ラインからビルドアップしていく一連の動
きを観てワクワクしたり感動したりしましたが、そ
の一つ一つの動作に 5万人の観客が沸いたり
しないし、実はサッカーのゲームの中ではそうい
うプレイの繰り返しがほとんどです。

 今やサッカー関連のメディアで常套句となって
いる「ファンタジー溢れるプレイ」なんて (それが
不要ではないけれど)、ゴールに至る一連のプレ
イの中で一瞬発揮されるかどうかだし、そういう
ものが求められるポジションもごく限られていま
す。 

 私は、高い技術を可能な限り追及していくのは
素晴らしいことであると思います。
 でもそれはあくまで選手個人がサッカーと関わ
っている間に取り組み続けていく部分であって、
アマチュアチームの指導者が実際のプレイの中
で常に求めたりするものではないと考えます。
 つまり、チームプレイの目的は「ゴール」であ
り、「ファンタジー溢れるプレイ」ではないので
す。 


 水準以上のそういった技術がない選手でも試
合でチームや勝利に貢献できるわけです。“プロ
になる”という目標を達成するだけでなく、まずチ
ームとして強くなるためには、むしろ技術以外の
要素は (水準以上の技術がないのなら尚のこと)
手抜かりなくこなせていなければならず、プロの
養成機関ならともかくとして、アマチュアの指導
者が求めていくべきなのはこちらであると思うの
です。 

 特にこの監督は「セーフティファーストでクリア
ばかりしていたら、結局慌てる選手になってしま
う」と語っていますが、その状況では慌てずにク
リアをすることが求められる部分であって、そう
いうシチュエーションで 5万人の観客を沸かせる
プレイは必要ありません。
 まァ、攻守の視点を替えれば観客は沸きます
けれどもね。 

 例えばメキシコの DFなんかは代表戦でも最終
ラインからドリブルして、ボールを奪いに来た FW
をかわすのをしょっちゅうやっています。

 観客もメキシコのDFが自陣ゴール前で相手選
手をかわす毎に、闘牛気分で「オーレ!!」なんて
叫んでいます。
 もちろんボールを奪われてピンチになるケース
が頻発し、そのままゴールされることもあります。
 うまいことドリブルで進んで行っても、前線でボ
ールが奪われた時に自陣ゴール前の人数が足
らず、慌てて戻ることも毎度のことです。 

 日本サッカーはメキシコぐらい強くなるのを目
標としているけれど、これは手本にならないと思
うし、まさか前出の監督もこういうのを目指してい
るわけじゃあないでしょうね(これも個性的で面
白いけれど)。 

 こうもケチョンケチョンにこき下ろすのは全国
優勝の監督にあまりにも失礼なので、少し補足
を入れたいと思います。
 先の“セーフティファーストでクリア”の前にこの
監督が語っているのは「選手一人ひとりが少なく
とも自信を持ってボールを扱えるようになってほ
しいんです。敵が来ても慌てずに、落ち着いてボ
ールを扱えるようになるには実際にその経験を
積んでおかなきゃいけない」とのことです。 

 技術の部分でこの考えには賛成で、ボールを
扱う際にプレッシャーを想定する練習は入念に
やるべきです。

 逆に実践的な紅白戦ができるくらい人数が揃
っているのに、列をなしてマーカーコーンの間を
ドリブルする練習を繰り返すのは効率が悪いし、
その際に人を立たせるにしても、1点を争う試合
ではアリエナイような緩いプレッシャーではまった
く意味がありません。 

 私が言いたいのは、5万人の観客云々のそれ
は練習で取り組むべきであって、試合ではそれ
ぞれポジションやシチュエーションによって役割
があるわけで、全員がいつでも 5万人の観客を
沸かせるプレイを意識する必要はないということ
です。 




[勝負所をわきまえよ!]


[勝負所をわきまえよ!]

  
  プレッシャー下で慌てない技術的な裏付け
はもちろん必要で、その練習は最重要だと
思います。しかし一転試合となれば、プレッシ
ャーにボールを晒さないですむようにシンキ
ングスピードを上げて球離れを早くする。そし
て、このタスクを実行するための技術とその
ための修練の積み上げもまた必要なので
す。 


 というのもジョシの小学校時代、少年団の
監督が「DFは GKにバックパスをするな。クリ
アもするな」と指示を出した試合があったの
です。たぶんビルドアップの意識を持たせる
狙いがあったのでしょうけれども、練習では
そんなことを全くやっていないし、さらにいえ
ば毎週末は試合に追われて、6年生だと普
通の練習すらろくにできていない状況でし
た。 


  もちろん試合はメチャクチャでした。DFが
相手選手を背負うと視線は目前の自陣ゴー
ルにしか向けられず、そこでバックパスがで
きないので無理に腰と足首を捻って力のない
横パスを出すわけです。歩いても追いつける
ような弱いパスではボールと一緒に相手選
手がついて来てしまい、結局団子が移動して
いくだけでビルドアップどころではありませ
ん。 


 ボールは常にゴールの目の前で相手選手
に追い立てまくられて、ゴールキックかコーナ
ーキックになるまでゴチャゴチャの団子状態
が続くのです。 


 こういうことは練習でこそ取り組むべきで
す。試合は、たとえ練習試合でも実戦に則さ
ない試みはやるべきでないでしょう。練習試
合はチーム戦術の練習や、出場機会の少な
い準レギュラー選手のテストの場として活用
するもので、逆にそういう目的がないなら練
習試合を組む意味もありません。一方選手
個人は練習試合でも公式戦でも同じで、局
面局面の勝負には常にこだわらなければ上
を目指せません。 


  よくチーム内のレギュラー組と控え組で分
かれた紅白戦の場で、余裕をみせてナマ本
気のプレイをするレギュラー選手がいます
が、そういうタイプは上に行かれませんし、ま
た控えでこういう機会に燃えていけないタイプ
もずっと控えのままでしょう。本気の出し惜し
みをすると成長できません。 


 だからといって試合の場で悪戯にマイボー
ルをプレッシャーに晒すこととは意味が違い
ます。勝ちたいのであれば勝負所をわきまえ
るべきです。クリアするべき状況だと判断す
ればクリアするべきだし、ビルドアップに際し
てGKにバックパスするのも、もちろん観客は
沸かないけれど悪いことではありません。 


 逆に重要な勝負所以外はプレッシャーを受
けないように球離れをよくし、シンキングスピ
ードを上げて素早く展開していくことにもまた
レベルの高い技術が不可欠であり、むしろ近
代サッカーで求められているタスクはこちら
の方です。 


 私はこういう点で、メッシよりもパストーレ
を、マラドーナよりはクライフをゲームメイカ
ーとして推すわけです。 


 さて、ジョシにもこれまでのレポートと同じこ
とを伝えました。それでもジョシはボールが来
ないと言います。そして、本当はボールは来
ていたとなったわけです。どうやらジョシに
は、ボールの受け方やポジショニングのアド
バイスよりももっと重要な訓練が必要なよう
です。 


      2014年4月17日



[チームスポーツは気が利かないとダメ]後編 ジョシをコンバート


[チームスポーツは気が利かないとダメ]後編

[ジョシをコンバート] 

  
 ジョシは、ただ楽にプレイする、楽にゴール
することばかり考えていたのです。パスをしな
いでドリブルばかりしているアルゼンチンのサ
ッカー少年達も我ままで自分勝手ですが、ジョ
シはジョシでもっと利己的で自分勝手です。 

 ここで私はジョシをモデルチェンジさせようと
決断しました。自分で局面を打開する習慣を
持たなければ、これまでのように自分では実
力的に負けていないつもりでも、肝心な時に
評価が受けられないことが続くでしょう。それ
ではサッカーに賭けられる時間が終わってし
まうことになりかねません。 
       
 
 このアマチュアリーグのサッカーでは、ジョシ
は OMFだけをやらせることにしました。だから
といって攻撃だけをやっていればいいような
古典的な OMFでは意味がありません。この
際ジョシのポジショニングはDFラインのボール
を受けるボランチ的な場所からゴール前もサ
イドも全部で、基本的にはどこでボールを受
けても全部自分で持ち込ませることにしたの
です。従ってパスはラストパスとオープンスペ
ースへのフィード以外全面禁止です。 


 普通ならやりたいポジションがあってもそう
そうありつけないものですが、特に監督がい
るわけでもないので、本当のところポジション
なんて在って無いようなものなのです。こうい
う部分は幸いしました。 

          

 持ちすぎて文句を言われるのはプレイの成
功率が低いからで、そのレベルで終始してし
まってはプロは夢のまた夢です。逆にボール
を持てる選手だと認められれば自然にボール
が集まるのだから、一人で全部やってしまう
のがわかっていても、このレベルだったら自
然にボールが集まるようでなければなりませ
ん。 


 結果を先に申しますと、この試みは成功でし
た。サッカーを始めて以来ずっとパスが来な
いことに悩まされ続けたジョシは、遂にパスを
自分に呼び込む術を身に着け、自身の技術
に裏付けられた存在感を発揮するようになっ
たのです。 

 さらにボールに触れる機会が増えたことで、
技術的な部分を自分で希求するするようにな
り、ジョシのドリブルは進化しました。 

どう進化したかについては、別の機会に詳し
く。 

          


[ボールが走るべきだ] 

  
   それではジョシは今後 MFに活路を見出
すのかといえば、そうではありません。私の見
たところ、ジョシには MFの適性がありませ
ん。本人も私のこの指摘には不本意のようで
すが、そもそも MFというのはチームメイトに
対する気配りが求められるポジションであり、
特に中央の選手ならば、ゲームの流れを掴ん
で修正する能力が必要なのです。つまり広い
意味でのゲームメイクです。 

 ではゲームメイクとは何か?。とどのつま
り、敵に同じ形で攻めさせず、味方に同じ形で
攻めさせるということです。ジョシにこの話をし
た時「そんなの当り前じゃん」みたいな顔をし
ていましたが、実際を考えてみれば字面ほど
簡単ではありません。 

         
 試合を決定づける働きができる選手は限ら
れているので、結局は同じ形でしか攻められ
ないのです。そうなれば相手のチームも同じ
形で攻めさせまいとするのは当然で、キープ
レイヤーにはマークがつきます。クライフがボ
ールを散らしていたのはこの部分で、最後に
ストロングポイントで止めを刺すためだといえ
ます。 

 
 メッシやマラドーナは自身がストロングポイ
ントなので一人で止めを刺してしまうわけで、
だからこそ監督も「戦術はマラドーナ(メッシ)
だ」なんて言うのです。クライフも自身がストロ
ングポイントなのですが、その本当の怖さを発
揮するのはゴール前です。それ以外の場所で
もよくボールを持つけれど、ワンタッチですぐ
散らすからどこにいるのかわからない。 


 “フライングダッヂマン”の異名は幽霊船とい
う意味だそうですが、ボールばかり見ていると
どこのポジションなのかよくわからないのに要
所要所に何度も現れるクライフは、一緒にピ
ッチに立っていれば神出鬼没な幽霊船みたい
に感じるのではないでしょうか。 


 クライフは「ボールが走るべきだ。ボールは
疲れない。]という名言を残しています。またア
ヤックスのコーチは、オランダサッカーが伝統
的にウイングを置く 3−4−3の布陣を敷くの
は、フィールドの全域でトライアングルのパス
コースを確保できるからだと説明していました
が、クライフの“ボールが走るべきだ”はこの
ことだと思います。 


 私が見た試合でクライフは頻繁にボールに
触れどこにでも現れるので、ボールもよく走っ
ていたけれどクライフも負けじと走っていたよ
うに見えました。けれど実際は止まらずにジョ
グを続けていたのだと思います。全力疾走し
たシーンはゴール前だけだったのではないで
しょうか。 

          
 
 どこにでも現れたように見えても縦の動きで
はペナルティエリア付近以外でボールを追い
越すことはなく、横の動きもだいたいペナルテ
ィエリアの幅ぐらいで、今にして想えばイング
ランドのジェラードやランパートのような“Box 
to Box(自陣と敵陣のペナルティエリア間をプ
レイエリアとする選手)”の動きだったのでしょ
う。 

 これは、そう走るように決まっているポジショ
ンなのだと捉えるよりも、ゲームの中で色々な
ことに気づき、気が利く選手でないと務まらな
いのだと考えるべきだと思います。何かにつ
けて無頓着で気が利かない選手がこのポジシ
ョンを割り当てられても、どこにどう動くべきか
わからないはずです。 

 要するに試合の中で気づいて、考えて、気
が利かないと本当のゲームメイクはできませ
ん。その点ジョシは、ポジションの特性に合わ
せた動きどころか味方のパスを引き出す方法
すら自分で見つけられず、教わらなければで
きないのです。 

  

[悪い例 その1] 

  
 私は、才能があるのに芽が出ない選手とい
うのは、往々にしてこういう傾向があるのでは
ないのかと、最近は考えるようになりました。 

 ここで以前に取り上げた元ウラカンの FW
で、パストーレや加藤選手の出場機会を奪う
ほどの活躍をしていたフランソイヤの話をしま
す。 

 これまでのレポートで書いたように、フランソ
イヤはボカのユースからトップ昇格後レンタル
移籍を繰り返していたものの、最初のレンタ
ル先であるウラカン以外ではフィットせず、戦
力外扱いで毎年移籍をしてきた選手です。 

 昨年は「ウニオン デ サンタフェ」という、最
近トップ昇格したばかりで普段なら 2部と 3部
を行ったり来たりしているようなクラブにいまし
た。 

 古巣のボカもついに保有権を手放したよう
で、普通はレンタル先のチームと選手の保有
権を持つクラブとの対戦には出られない契約
なのですが、昨年は対ボカ戦でスタメン出場し
ていました。 

 ところが彼はこの試合で大いに発奮して 1
ゴール 2アシストの大活躍。しかもこのアシス
トは二回ともフランソイヤのシュートを味方が
押し込んだもので、ほとんどフランソイヤ一人
でボカをやっつけていました。 

 このクラブは選手層全体がトップレベルに及
ばず格下意識があるようで、ボカのユース出
身というサッカーエリートのフランソイヤによく
ボールを集めていました。この対ボカ戦だけ
でなく、その他の試合でも得意のドリブルでゴ
ールに迫るシーンを連発し、ウラカン時代さな
がらの活躍をしていたのです。 

 このボカ戦をジョシと TV観戦していた時の
ことです。試合も終盤にさしかかり、前述のと
おりに 1ゴール 2アシストでほぼ試合を手中
にした時間帯でのプレイでした。ウニオンの選
手が右サイドをドリブルしていたところ、ペナ
ルティエリアの角を目の前にして DFに進路を
塞がれ、パスもドリブルもできずに足が止まっ
てしまいました。 

 この時フランソイヤはゴール正面のファーポ
スト前でフリーなのですが、そこで動かずパス
を待っています。 

 私は“なるほどフランソイヤはボールを集め
てもらえないチームでは活躍できないわけだ”
と合点がいき、ジョシに話しかけました。 

「あそこでフォローに近寄らないから、フランソ
イヤは今までの移籍先でうまくいかなかった
んだ」。 

 するとジョシは「フランソイヤは左の FWだか
らアレでいいんだよ」。と言ってきました。 

 そうこう言っているうちに右サイドにいた選
手はボールを奪われ、ウニオンの攻撃のチャ
ンスは消えてしまいました。私にとっては、まさ
に我が意を得たりです。 

 「リケルメだったらマーカー 1人くらいならパ
スを出せるだろうよ。だけど、ウニオンにはあ
の状況であの距離のラストパスを出せる選手
がいるわけないじゃないか。現に、ああやって
待っていてパスが出たのか?」。 

 ジョシは力なく「そうだね」と言うほか何も言
えませんでした。 

 ジョシは気づいたはずです。あれは自分の
姿であったことを


      レポート1  2013年5月30日





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